手を、その手を



手を、その手を




 もし仮に、己の人生に分岐点というものが存在するのなら。
 きっとあの日、あの瞬間に訪れたのだと、思うときがある。





 里の門をくぐるなり、ナルトをはじめとする七班は全員揃って木ノ葉病院に運び込まれた。
 サスケとサクラは幸い軽傷、砂の我愛羅を直接相手にしたナルトは、見たところかなりの怪我を負っていたが、翌日には退院という回復ぶりで周囲を驚かせた。屋上で皆の無事を確認しあい、七班はようやく解散となる。
「やっぱり、被害はどこも酷いみたいね」
「聞いた話じゃ、復興するまで数ヶ月はくだらねえとよ」
 壊れた建物を眺めていたサクラの顔に、暗い影が覆う。
「その分、オレ達が任務をこなせばいいだけだ」
「そう……だね」
 帰り道はサスケがサクラを送っていくように。
 カカシからそう命令を受けたサスケは、まだ木ノ葉崩しの余韻が残る里の中を、サクラと二人並んで歩いていた。あっさり承諾したことにカカシは少し驚いていたようだったが、治安が急激に悪化しているこの状況で、まだ戦いのダメージが残っているサクラを一人帰らせるような真似はできなかった。
「ごめんね、家遠いのに」
「いいから、気にすんな。あと、別に無理して早く歩かなくていい。ゆっくり歩け」
「ありがとう」
 当然のことだろうが。胸中でそう呟くも、口に出すほど馬鹿じゃない。自分の言動にいちいち過敏に反応するその様にはどうやっても慣れないが、それを嫌っているというわけではなかった。ただ、どうしていいかわからないだけだ。
「中忍試験」
「あ?」
「間に合って、ほんとよかった。言うの忘れてたから」
「まあな。だいぶギリギリだったみてえだけど」
「ナルトは信じてたって、絶対来るって。シカマルがね、そう言ってた」
「そうかよ」
「うん、そう」
 殺伐とした里内を、言葉少なに歩く。それでも、流れる空気は自然と心地よかった。いつもならくだらないと一蹴しているはずなのに。うぜえだとか、もっと離れて歩けだとか。出てくるはずの言葉はいくらでもあった。それなのに、何故だろう。互いの手が触れ合うかもしれない。こんな距離がどうしようもなく大事だなんて、嘘だと思った。
 きっと、あの戦いによって、少しばかり感傷的になっているだけだ。隣を歩いているチームメイトが、ゆったりと流れるこの時間が、永遠になくなるかもしれない。そんな恐怖を、一瞬でも味わってしまったからに違いない。
 得体の知れない感情を持て余し、サスケの歩みは速くなる。しまったと思い、ちらりと背後をみれば、何食わぬ顔で自分の背を追うサクラが居た。まるで影踏みを楽しむかのように、軽やかなステップで。
「やっぱり、歩くのゆっくりすぎるよ。いつもみたいに歩こ?」
 鮮やかに笑い、サクラはふたたびサスケの隣に並ぶ。サクラの手がすぐそばでふらふらと揺れた。その手に、触れたいと唐突に思った。血の巡るその音にさえ、耳を欹てたいと願った。熱に、音に、感触に、焦がれた。
 手を伸ばせば、きっと受け入れられるのだろう。ひどく驚いて、もしかしたら反射的に手を引っ込めてしまうかもしれないけれど。自分の背を追いかけるサクラの姿を、脳裏に浮かべる。手を差し伸べれば、きっと離れない。繋がることは、思うよりずっと容易い。すぐにでも、それは叶う。
「サスケくん、どうかした?」
 まったく、どうしたものかと、思い悩む。そんな思考迷路に入り込んでしまうこと自体、いつもの自分とは違うのだが、そこまで考えは追いつかない。最初に動いたのは、人差し指だった。するりと宙を浮き、残る四本が、それに続く。
 手首を動かそうとしたその時、強烈な光が差し込み、くっと目を細める。建物の影から、陽の光が現れた。自分を見下ろすように、それは赤く燃えている。
 赤、血、写輪眼。
 一族、倒れる人々、親の仇。
 ストロボライトのように、あの日の光景が次々と走り抜けた。映像がやっと終わると思ったその時、兄の声が、耳の奥をじわりと焼いた。
 手首は、もう動かない。てのひらに爪が食い込むほど握り締め、焦がれる気持ちを、強引に引きちぎる。重石をくくりつけて、井戸より深い穴へと放り込む。二度と迷わぬように、蓋をする。
 オレは修羅だ。修羅になるのだ。
「いや」
 首を振り、両の手をポケットにねじ込んだ
「なんでも、ねえんだ」





 適当な場所で服を調達すると、水月はサスケと向き合い、すっと片手を上げた。
「とりあえずヨロシク」
 無関心な顔つきで、サスケは差し出された手を見下ろす。意図がわからない。
「なんだ、この手は」
「僕らは一時的にせよ、行動を共にするわけだろう?だから、握手」
「悪いが、他人に触れるのは好きじゃない」
「あそ。まあキミらしいけどね」
 皮肉な口調で肩を竦めると、水月はさっさと手を戻す。
「それで、行きたい場所とは?」
「キミらが殺した桃地再不斬。あの人が遺した刀を、探しに行く」
「波の国か」
「へえ、場所知ってるんだ?探す手間が省けてよかったよ」
 当面の行動予定を話しながら、道中を歩く。身にまとう衣服にポケットはない。手をねじ込む必要は、もうないのだ。
 オレのこの手は、柄を握るために存在する。
 あの男の肉を抉り、骨を断つ。その目的のためだけにあればいい。

 さあ、目を開けろ。修羅の道は、そこにある。






※サスケさんがわからない。



2008/06/10