初恋



初恋




 行きつけの店に、七時半。そう約束したのは、ニ週間前のことだった。サスケは、約束を守る男だ。遅刻なんて、もってのほか。しかし、多忙な日々を送っていることは十分承知していたし、ドタキャンの可能性もあるな、なんて思いながら、サクラは一人カウンターに座っていた。
「よお、早いな」
 予想より随分と早めの時間に、とん、と肩を叩かれる。
「サスケ君こそ。まだ約束の時間まで十五分あるよ?」
「いつまでも待機所に居たら、何かしら押しつけられるからな。早めに抜けてきた」
「優秀な人は大変だね」
「お前にその言葉、そっくり返す。注文、生一つ」
「あ、私もおかわり頼もうかな」
 店主に生ビールを二つ頼み、サスケはおしぼりで手を拭う。飲み屋街に軒を連ねる赤提灯とは違い、落ち着いた雰囲気が気に入っていた。一人でゆっくり飲みたい時などに、重宝している。煙の匂いが服や髪に染み付くこともないし、適当に放っておいてくれるのもありがたい。愛想を振りまくのは、昔からどうにも苦手だった。
 元七班の三名は、忙しい暇を縫いながら、顔を合わせる場を定期的に設けていた。いつだったか、ちょうどナルトが来れなくなった時、サスケは単なる気まぐれでサクラをこの店に連れて来た。ナルトが居なければ、さして騒がしくもならない。以来、ナルト抜きで飲む時には、この店のカウンターと決まっていた。
「どれぐらいぶりだろうね。半年……は経ってないか」
「お前の誕生日、祝い損ねただろう。ざっと四ヶ月ってとこだ」
「ともあれ、乾杯」
「ああ」
 かちりとグラスを合わせて、二人は仕事上がりの一杯を楽しむ。話すことは、たくさんあった。今やもう、二人とも里内でそれなりの地位についている。仕事についての考え方や、ちょっとした愚痴、懐かしい昔話に花を咲かせながらグラスを傾ける。そして、サスケが何本目かの煙草を消したところで、話題が他へ移った。
「そういや、葉書ついたぞ。案内状。俺んとこには送らなくていいって言っただろうが」
 どうせ、出席するに決まってる。口にはしないが、そう言いたいのだろう。
「うん。でもさ、せっかくだから。あ、忙しいなら返事はいいよ?こっちで調整するから」
「そういう訳にいくか、アホ。俺は礼儀を重んじる男なんだよ」
「ふぅん。礼儀を重んじる、ね。だったら、当日の受付頼んじゃうよ?」
「そりゃ、お前、」
 途端にたじろぐサスケを横目に、サクラはくすりと笑う。
「ウソウソ。もうね、いのとチョウジに頼んであるから」
 この日は、ナルトを肴にして常になく盛り上がり、酒も進んだ。その場に居ても居なくても、話題の中心になるのだから大した奴だ。そんなことを思いながら、サスケは店員に追加の酒を注文する。





「サスケ君、飲みすぎ。気づかなかった私も悪いんだけどさ」
「あー、なんというか、すまん」
 酔い覚ましにと、二人は公園のベンチで夜風に吹かれていた。勘定を終えた頃、サクラはようやくサスケがかなり酔っていることに気づき、肩を貸しながら自宅までの中間地点であるこの公園までたどり着いたのだ。
「サスケ君はいっつも、いつの間にか酔っ払ってるんだよねー。顔色変わんないから」
「まだ大丈夫、って思ってる時にはもう酔ってんだよな。たいして強くもねえ癖によ」
「三人の中で、一番お酒に弱いかもね」
「あのドベに負けるのは、かなり癪だな」
「変なとこで競わないの」
 そうは言えども、サクラはどこか安心したような顔を見せた。二人の競い癖は、あの頃と全く変わらない。それが嬉しいのだ。
 進むべき道の困難さと、背負うべき責任の重さ。それらを前にして挫けそうになると、三人はそっと身を寄せ合う。そうして、変わらない部分を見つけては、ほっとする。自分たちの原点はここにあるのだと、再確認をする。
「あれから七年、いや、八年か……」
 過ぎた日々を思い返しているのだろう、サスケは少しばかり遠い目になる。色々とあった。本当に、色々と。
「なんというか、内容の濃い十代だったね」
「その節は、お世話になりました」
「なにそれ。サスケ君のおかげで随分と強くなったし、感謝してるのよ?」
「そう言われるたびに、胃が痛くなるんだが」
「感謝してるって言ってるのに」
「額面通り受け取っていいのか悩むんだよ、実際」
「深読みしすぎ」
 二人笑いあった後、サスケはベンチの背もたれに首を預けると、空に向けてふっと息を吐く。酔い覚ましの夜風が、心地よかった。
「酔った勢いだ。この際、言っておくか」
「どうしたの?改まっちゃって」
「あのウスラトンカチに愛想尽かしたら、いつでも俺んとこに来い」
 また、冗談ばっかり。そう返そうと思って左隣を見れば、サスケは穏やかな顔をして笑っていた。サクラはじっと瞳を覗き込み、真意を探る。
「部屋、空けとくぞ」
 ああ、この人は本気なんだ。そう気づくと、胸の奥がきゅうっとなる。こんな言葉、生きているうちに貰えるなんて、思ってもみなかった。
「やだ、私ったら、サスケ君に口説かれてる」
 初恋の人からの、遅ればせなプロポーズ。両手で顔を覆うと、幸せを噛みめる。頑張っていれば、こんなご褒美があるよ。修行時代の自分に、そう教えてやりたい。
「私さあ、あの頃、ほんっとにサスケ君のこと好きだったんだよ?」
「ああ、知ってる」
 その言葉に一瞬呆けた後、サクラはふっと吹き出した。真顔でしれっとそんなことを言うものだから、堪えきれなくなった。笑いの波は止まることなく広がり、あふれ出てくる。
「おい、笑うような場面じゃねえぞ」
「ごめ……なんていうか、いかにもサスケ君だなーと思って……」
 笑いをようやくおさめると、はあ、と肩で息をつく。
「いつかさ、遠い未来。そうだなあ、お互いおじいちゃんとおばあちゃんになった時の話」
「うん?」
「一緒に住もうよ。三人で。そんでもって毎日、川の字で寝るの。あ、私が真ん中ね」
「ジジイとババアが、か?」
「そ。でね、昼間は縁側でお茶するんだ。ナルトの作った庭が目の前にぱーって広がってて……そうだ、書庫も作ろう。私とサスケ君の好きな本が、ずらーって並んでるの」
「俺とお前のか。相当な量になるぞ?」
「だからおっきな部屋にするの。ナルトは絶対入ってこないから、私たちだけの場所だよ?」
「あいつがうるさい時は、書庫に篭るわけだ」
「でもナルトは寂しがりだから、扉をこっそり開けて、中を覗くの。構ってよーって」
「うっぜえなあ」
 素っ気無い言葉のわりに、顔は笑ってる。
「きっと楽しいよ」
「ああ、悪くないな」
 サスケの「悪くない」は、最上級の誉め言葉だ。賛同を得られたことに、サクラはくしゃりと笑う。
「それまで生きていれば、の話だが」
「私といのがいる限り、そう簡単にくたばりませんって」
「……あんまりコキ使うなよ」
「幸せな老後に備えて、今はお仕事頑張りましょってこと。どう?いい発破になったでしょ?」
「自分で言ってりゃ世話ねえよ」
 帰り道、サクラはサスケの手を取り、歩き始めた。酔いならとっくに冷めている。サスケは手を振りほどこうとするが、サクラが許さなかった。今日ぐらいいいじゃない、そう言いたげな顔で。こんな風に手を繋ぐのは、初めてのことだった。
 サスケ君、体温高いね。そんなことをぽつりぽつりと零しながら、ゆっくりと惜しむように夜の里を歩く。
 サクラの初恋は、こうして幸せな結末を迎えた。






※どのジャンルに引っ越しても、酒飲み話は書いてしまう。きっと、シチュエーションが好きなんだろうなあ。こんな未来が、あってもいいと思うの。



2008/05/25