「せっかく作ったのになぁ」 任務を終えた帰り道、ナルトは握り締めていた鍵を、宙空にふらりと放る。西陽に照らされ、それは鈍く光った。 家の合鍵を作ってから、もう三週間が経過している。今日こそは、今日こそは、と何度も思っていたのだが、渡そうと気構えをした時に限って、急な任務が入ったり、サクラが里外に出ていたり。なんだかんだですれ違ってしまい、タイミングが悪いというか、どうも運に見放されている気がする。そして今日もまた、顔すら拝めないまま一日が終わろうとしているのだ。 何と言って渡せばいいのかと悩んでいたが、今となっては早く渡してしまいたいとさえ思う。過度な期待をしないようにと予防線を張る癖は、いつの間にか染み付いてしまっていた。だからこそ、こんな心臓に悪いイベントは、さっさとクリアしたかったのだ。 「根性ねえな、オレ」 深いため息をひとつ吐いて、ベンチに深く背をもたれた。そのままぼんやりと夕焼けを眺めていたが、自分が今、ひどく情けない立場にあることを唐突に理解すると、これではいかんと首を振る。 サクラとの関係は、幸い良好だ。それは互いが努力を重ねた結果であり、大なり小なり壁を乗り越えてきたという自負がある。そして、今回の試練は、手の中にある鍵。それだけの話なのだ。 「うおっし、やるぞー。やってやらあ!オレぁ、やる時はやる男だかんな!」 勢いよくベンチを立ち上がると、ぐんと両手を空に伸ばして気合を入れる。 本来なら任務中におしかけるなんて真似はしないのだが、こうでもしないと会えないのだから仕方ない。サクラの元を訪ねるべく、勇んで足を前に進める。 「すんませーん」 バタバタと騒がしい院内の一角、弱い声で周囲の人間を引きとめようとするが、殺気立った関係者の耳に届くはずもなく、声はあっさりと素通りしていく。五代目に確認したところ、奥の部屋で作業中なのだと聞いた。部屋に乗り込むのは気が引けるが、少しでいい、時間が欲しい。どうしようかと思案しているところで、部屋の扉が開く。まだ下忍であろう少女が、分厚いカルテを抱えて出てきた。 「サンプル、ニ本追加ですね!残り本数も確認しますので、ちょっと時間かかります!」 「ごめーん、お願い」 扉の奥から聞こえてくるのは、間違いない。サクラの声だ。少しつっけんどんなその調子から、今どんな状況なのかがよくわかる。図書館や家で難しい本を読んでいる時、サクラを呼ぶと、こんな声が返ってくる。どうやら、相当煮詰まっているらしい。 「忙しいとこ悪いんだけどさ、春野サクラに取り次いで貰いたいんだけど」 部屋を飛び出し、どこかへ向かおうとする少女を呼び止めると、両手で拝む。 「申し訳ありませんが、五代目以外の方とは取り次がないよう言いつけられていますので……」 「あー、待って!その人は大丈夫だから。入ってもらってー」 開いたドアの隙間から、少女を飛び越して、声が飛んできた。 「えーと、そういうことらしいので、中へどうぞ」 わりぃ、と一声かけた後、部屋の中に入る。そこに広がる光景は、目によく馴染んだものだった。机の上は紙の束で埋まり、何かしら区別はされているのだろうが、床にはファイルがいくつも積まれ、足の踏み場がない。最近はだいぶマシになったが、自分の汚い部屋にそっくりなのだ。 「これでよし、と」 唖然としながら部屋中を眺めているナルトだったが、ぎしりと椅子の軋む音に、視線を前に戻す。 「すっごい汚いでしょ。あんたの部屋みたい」 「オレもちょうど、そう思ってたとこ」 白衣の裾を気にしながら、サクラはそろりそろりと足を運ぶ。 「よい、しょっと。で、用件は?こっちに来るんだから、よっぽどのことでしょ。里を離れるとか、そういう話?師匠は何も言ってなかったけどなあ」 「えっとね、そういうんじゃなくてね、」 ごそごそとポケットを探ると、すっかり手に馴染んでしまった鍵を取り出す。そしてサクラの手を取ると、その鍵を強引に握らせた。 「これ、合鍵。寝に帰るだけでもいいからさ。オレん家、使って?」 それだけ言って、手を離す。サクラはといえば、手の中の鍵を、穴が開くほど見つめている。言葉も反応もない。流れる一秒一秒が、とてつもなく長く感じられた。実に気まずい。さては、怒ったか。 「実はさ、用件ってそれだけなんだってば。怒られるの覚悟で、ここ来ちゃった。早く渡したくってさ。忙しいとこ、ほんとごめんね?」 じゃ、オレ帰るわ。小さくそう告げると、逃げるように背を向ける。瞬間、がっしりと右肩を掴まれた。 「私、泊り込みで仕事してるって、知ってた?」 「うん、ばあちゃんに聞いた。やっぱり……怒った?」 ぽりぽりとこめかみをかきながら、恐る恐る問いかける。 「まあね」 ああ、やっぱりそうか。私事で任務を中断させたのだから、謝罪をしなければなるまい。やはり、来るんじゃなかった。がっくりと肩を落として、サクラに向き直る。 「任務の邪魔してごめんなさい」 ぺこんと頭を下げるが、サクラはそんなナルトに気づかぬようで、いまだに鍵を見ている。 「そりゃ怒るわよ」 「うん」 「せめて、もうちょっと身奇麗な時にして欲しかったわ……髪ぼっさぼさ」 はあ、と頭をおさえてサクラが言う。 「ええっ!そういうのって大事!?」 「大事です。ものすごく」 「じゃあ出直すことにする……。鍵、返して」 ますますしゅんと沈むナルトの額に、デコピンが飛んだ。 「返すわけないでしょ!馬鹿!」 「いってえ!」 「あのねえ、嬉しいに決まってるじゃない。まあ、シチュエーションはちょっとアレだけど、こんな嬉しいことって滅多にないわよ?例えばそうだなあ、七班の班編成が決まって、サスケ君と一緒だってわかった時の次くらいに嬉しい」 「うっわあ、超微妙」 顔をしかめるナルトを前にくすりと笑うと、ウソウソ、と手を左右に振る。 「帰る場所、ひとつ増えたね」 サクラは、顔の横に鍵を掲げて笑った。 「これで、ご飯作って待ってたりできるわけだ」 「ホントに作ってくれんの!?あー……でもなあ……」 「口に合わないなら、出したときに言いなさいよね」 「違くてさ、えーと、その、毎日期待しちゃうから、ご飯は事前相談ってことでいい?」 「そんなの、じきに毎日一緒に食べられるようになるわよ」 さりげない言葉だった。だからこそ、ナルトには嬉しかった。泣きそうに顔を綻ばせると、そのままサクラを抱きしめる。 「あ、ちょっと、こら、」 口では叱っているが、サクラも避けるようなことはしなかった。気力がないこともあったが、やはり同じように体温に飢えているのだ。疲れた身体に、伝わる温度が優しい。人が出払っているのは、幸いだった。サクラは手を伸ばして部屋の鍵をしめると、その手をそのままナルトの背にまわす。 「サクラちゃんに触んの、久しぶり」 「それは、お互い様」 顔を見合わせ、笑う。 充電完了まで、あと数分は必要だった。 ※合鍵話は、これでおわり。でも、ナルサクはまだまだ書くよ! 2008/06/08
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