花とみつばち



   五.


 任務の入っていない火曜日は、シノにとって少しばかり特別な日だった。
 朝から修行に励み、ゆっくりと昼食をとった後、14時が過ぎるのを待ってから家を出る。そして、真新しい手帳を頼りに甘味処へ赴き、手土産を買う。これで、準備は完了だ。
「いらっしゃーい。あ、今日もお土産持ってる」
「甘栗甘で新作が出ていた。チョウジ経由の情報だ、味に関して心配はない」
「わー、季節の変わり目だもんねー。楽しみ」
 土産が毎回プリンでは、飽きてしまうかもしれない。そう思いはじめた頃、偶然チョウジと任務が重なった。その帰り道、どこか美味しい甘味処はないかと問いかけると、チョウジは驚いた顔を見せたが、すぐにお勧めの甘味処を何件か教えてくれた。それ以来、チョウジとはすっかり甘味友達だ。食に対して興味を持つ友人が周囲に居なかったらしく、同志ができて嬉しいのだという。新しい情報をもらった時は、いのの分とチョウジの分を二つ買うことにしている。今日も、ここへ来る前にチョウジの家へ寄ってきた。土産を持っていくと、チョウジはとても嬉しそうな顔をする。それを見るのは、悪い気分ではなかった。少しでも礼になればいいと思う。
「邪魔するぞ」
 会計カウンターの奥にある丸椅子の後ろ半分が、シノの定位置だった。この時間帯は来客が少ないらしく、いのが接客をしている姿は、あまり見た事がない。丸椅子を離れるのは、店のディスプレイを変える時ぐらいだ。会話をするか、ぼんやりするか。そんな他愛もない時間が、なんだか心地よかった。
「あのさあ、シノ」
「なんだ?」
 和菓子を楊枝で切り分けている最中、唐突に声を掛けられる。
「別に、毎回お土産買ってこなくてもいいのよ?」
「……口に合わないか?」
「違う違う。美味しいよ、とっても。栗かのこ、久しぶりに食べたわ」
 季節はそろそろ秋になろうという時期で、食べ物もまた、秋味へと変わっている。こういう風に季節の移ろいを感じるのは、初めてのことだ。いつもは、蟲たちが教えてくれる。
「毎回だと、その、ダイエットに支障が……」
「ダイエットとは、減量のことか?なぜだ」
「なぜって……そんな野暮なこと聞かないの」
 肘でわき腹を軽く突つかれる。野暮だと言われようが、解せないものは解せない。
「本気で減量をする気か?筋肉が落ちてしまうぞ」
「シノは、筋肉質な子が好きだったりするわけ」
 背中越し、いのが悪戯に笑いながら言う。
「そうだ。シノのタイプって、興味あるわー。どんな女の子が好きなの?」
 どんな、と問われても返答に困る。なにせ、愛だの恋だの、そういった感情を交えて女性を見たことなど一度もないのだ。仕方なく、事実の通り口にする。
「どう答えればいいのかわからんが、将来の伴侶に関して言うならば、条件はひとつだ。血を分けた子供を愛してくれれば、他に言うことはない。オレは、油女一族だからな」
 油女一族は、非常に稀有な体質を持っている。それは親から子へと引き継がれていく血の歴史であり、木ノ葉にとって大きな戦力である。それ故、血族を残すことは、何よりも優先すべき事柄だった。シノにとって、恋愛は自分と全く無関係のものであり、遠い世界の出来事に過ぎない。生まれながらにして、己の命よりも大事なものを持っているのだ。これ以上、他に何を抱えられるというのか。
「恋愛は、自由だよ」
 常とは違う小さな声に、思わず背後を振り返る。いのはなぜか、傷ついたような顔をしていた。今にも泣きそうだ。シノは大いに慌てて何か言おうとするが、咄嗟には出てこない。そんなに器用な性質ではないのだ。
「サスケくんもそうだったよね。自分の幸せ二の次で、一族のことばかり考えて。そりゃあ、木ノ葉にとっては重要な血筋なんだろうけど……なんだろうな、違和感がある」
 血筋が絶えれば、里は廃れる。ゆえに、貴重な能力を持つ一族は、大変に待遇が良いのだ。もし一族の人間を人質に取られた場合、誰かの死をもって奪還できるのならば、喜んで命を差し出すだろう。そういう古い因習は、今なお深く根付いている。
「内に閉じこもるのは、ある意味、とても楽だから。だって、傷つかなくてすむじゃない。なんだかんだ言って、里に守られているわけだし。こういう生き方しかないんだって思い込んじゃえば、諦めがつくっていうか……」
 いのの言葉を聞きながら、シノは己を振り返る。恋愛という分野に関しては、無意識のうちに考えることを放棄をしていた。自らには関係ないことと、一線を引いて生きてきたのだ。そんな風だから、キバに「この朴念仁め!」と言われるのだろう。キバはむしろ、そういった自分の無関心さが苛立たしいのかもしれない。あの男、案外人を見ているのか。
「えーと……シノ君?」
「うん?なんだ?」
 いつの間にか思考に埋没していたことに気づき、シノは顔を上げる。平素と変わらぬ声を返せば、いのはほっと息をついた。
「もしかして、怒ったかなーと思ってさ」
「いや」
 首を振って、その問いかけを否定する。
「山中は、興味深い考え方をしているな」
「そうかな」
「オレは、そう思う」
「シノの言うことも、わかるんだけどね。私も一応、『山中』だからさ。でも、なんでかな。それだけは、どうしても諦めたくないんだよね」
 諦めたくない、と言い切るいのの横顔には、不思議な魅力があった。もしかして、自分は随分と狭い世界で生きてきたのかもしれない。一族の人間としてどう生きるか、そればかりを考えてきた。だからだろう、いのの言葉は、シノの心に大きく響いた。すっと新鮮な空気が入り込んだような気さえする。
「あ、ごめんごめん。なんか、語っちゃったねー」
「いや、謝ることはない。こういった話をするのは、実に有意義だ。礼を言う」
「まーた、堅っ苦しいんだから、シノは」
 握った拳の裏で、とん、と肩を叩かれる。感情の機微にはかなり疎いシノだが、それでもいのが少し照れているのだとわかった。
「それでも、礼を言いたい気分だ」
 そう言って、シノは少し笑った。







※なんといっても隠れ里ですし、恋愛に関してはかなりシビアなんだろうなあ、と思いますよ。一般の忍なら、話は別だろうけど。あと、いのちゃんは賢い子なので、ただ顔がいいというわけで男を追っかけてるわけじゃないと思う。いのちゃんなりの覚悟があるんじゃないかなー。




2008/03/08