花とみつばち



   三.


 なるべく早めにお召し上がりください。
 そう言いながら手渡されたプリンの袋を片手に、シノは山中家の周辺をうろついていた。一緒にプリンを買ったヒナタはといえば、私が居ても邪魔なだけだから、となぜか嬉しそうな顔で去っていった。その手には、同じ店の袋が握られていた。おそらく、家族への土産だろう。ネジも宗家で修行をするようになり、日向家は人の出入りが増えたらしい。ヒナタは家に帰るのが楽しみなようだ。家族との不和に悩んでいたあの頃が嘘のように、家路につく足取りは軽い。
 そんなヒナタを引き止めるわけにもいかず、シノは一人で勝手に迷っていた。いつぞやのお礼にとプリンを買ったはいいものの、どうやって渡せばいいのか、皆目見当がつかないのだ。とはいえ、いつまでもこうしているわけにはいかない。そういえば、花のやまなかの店番は誰なのだろうか。そっと覗くつもりで斜め向かいの塀から顔を出す。今日の店番は、いのらしい。店の外に出て、売り物の花をなにやらいじっている後姿が見えた。これは一体、どうしたものか。
「あれ?シノじゃない」
 いのはそう言って、屈めた腰を持ちあげる。簡単に自分の存在を看破されてしまった。相手はくの一だ。さすがに鋭い。
「久しぶりだな」
 こうなれば、隠れていても仕方がない。袋をぶら下げたまま、いのの元へ歩み寄る。
「そうねえ、二ヶ月ぶりくらい?えーと、うちに用……とか?」
「半分は正解だ」
「残りの半分はなんだろ、わかんないや。よし、これでオッケー」
 一仕事終えたのだろう、いのは、店の外に備え付けてある蛇口を捻って、手を洗う。
「ごめんね、慌しくて。でも、今日の注文分は全部用意しちゃったから、今なら暇よ」
「そうか、暇か」
「うん、暇です」
 いつもこうして、おうむ返しの会話になる。誰と話をしてもそうだった。キバやナルトのように、何かと突っかかってくるタイプの人間となら話は続く。だが、その反対となると、からっきしダメだった。その昔、ヒナタと会話をするのに随分と苦労をしたものだ。あの時の努力を思い返せば、乗り越えらないものは何もない。意気込んで口を開きかけるシノだが、いのの声に遮られた。
「へー、シノも甘い物、好きなんだね」
 視線の先には、店の名を印字した袋があった。取っ掛かりを作れずにまごついていたシノを他所に、いのは落ち着いたものだ。いのの周囲には、いつも人の輪ができる。その理由が、わかるような気がした。
「そこのプリン、私も好きなんだ。家へのお土産かな?美味しさは、チョウジのお墨付きよ」
 チョウジはあれで、舌が肥えている。食えれば何でもいいというわけではないらしく、味にもうるさい。そんなチョウジが勧めるのだから、よほど美味なのだろう。
「そんなに美味いのか」
 袋を目の高さに掲げると、まじまじと見入る。なんとなく気恥ずかしくて、容器の外見すら覚えていない。
「親父は、甘い物を好まない。なぜなら、辛党だからだ」
「へえ、そうなんだ」
「だからオレもまた、甘い物は好んで食さない」
「家に置いてないと、そんなものかもね。あれ?じゃあ、それどうすんの」
「これは、山中への手土産だ。受け取ってくれると嬉しい」
 会計のカウンターに寄りかかっているいのに、ビニール袋をぐいっと押し付ける。いのが受け取るまで、ここから動かないと決めていた。迷惑かもしれないが、これがシノにできる精一杯だった。
「え、これ……私に?」
「いつだったか、足の治療をしてもらった礼だ。本当に助かった。感謝する。これは、受け取って貰わねば、少々、いや、かなり困る。なぜなら、」
「おじさんは甘い物苦手だから、なんだよね。じゃあ、遠慮なくいただきます。うちの家族、全員甘党なのよ。ありがとね!嬉しいなあ」
 いのは、ビニール袋を受け取ると、会計のカウンターに置いた。確か、要冷蔵とシールが貼ってあったはずだ。
「おい、山中。冷蔵庫に入れた方がいいぞ」
「んー?今から食べるから、ちょっとぐらい大丈夫よ。じゃ、失礼して早速開けちゃうね」
 箱の中を覗き込むと、いのは、わあ、と声をあげた。
「もしかして、全種類買ったの?」
 どんな味を好むのかわからなかったため、とりあえず全種類買ってみたのだ。どれも美味しいというヒナタの言葉を信じたのだが、量が多すぎただろうか。
「すまない。プリンのことは、よくわからなくてな」
「謝ることなんてないよー。選ぶ楽しみまで貰っちゃった。どれから食べよう。うわーこれは迷うなー」
 いのは、どんな時でも感情表現が豊かだ。本当に楽しそうに笑ったり、かと思えば、手がつけられないほど怒りを露わにしたり。今の様子から察すると、こちらが思った以上に喜んでくれたらしい。
 さて、目的は果たした。家に帰ることとしよう。シノは、くるりと踵を返そうとする。
「ごめんねー。店の中、この椅子ひとつしかないのよ」
 カウンターの奥から声がする。ついと見やれば、いのが椅子に座っていた。シノは、ポケットに手を突っ込んだまま、その場で微動だにしない。妙な間が、一瞬流れた。
「シノ」
 いのは二回手招きをすると、続いて丸椅子の後ろ側を、ぽんと叩く。カウンター越しに覗き込めば、いのは浅めに腰掛けていた。もう一人ぐらいなら、座れそうだ。ということは、座れという合図だろうか。
「せっかくだから、一緒に食べよう。食べたことないんでしょ?この店のプリン」
 この店どころか、生まれてこの方、プリンという食べ物を口にしたことがない。皆がそこまで絶賛するプリンとやらは、どんな味なのか。これには、シノも興味を覚えた。
「オレもいいのか?」
「いいから、食べて食べて。ほんとね、美味しいんだから」
 椅子に腰掛けると、肩越しに、陶製の容器とスプーンを手渡された。それを慎重に受け取り、容器の中を見る。そこには、綺麗な焦げ目がまんべんなく広がっていた。これがプリンか。
「あー、美味しー!やっぱりこの店のプリンが一番好きだわ」
 背後の声に後押しされて、シノはフードを脱ぎ、首元のフックを緩める。スプーンでプリンを掬い、それをじっと凝視した後、一口。バニラの香りがふんわりと広がり、舌の上で柔らかな物体が溶けていく。甘味を普段食さないシノにも、それが絶妙な味わいであることはわかった。
「確かに、美味い」
「でっしょー?チョウジに教えてもらったんだけどね、あいつの情報網は侮れないわ」
「チョウジも好きなのだな、その甘味処は」
「甘栗甘だと、扱ってないからね、プリン。下手な噂を信じるよりも、あいつに聞いた方が確実なのよ」
「それは、凄いな」
「ねー、凄いよねー」
 そして二人、背中あわせでプリンを頬張る。プリンの美味しさはもちろん、少しの会話と沈黙が、心地よかった。最近になってシノはようやく、修行と任務以外に使う時間の楽しさを知りはじめていた。人と話をすると、人生が豊かになるような気がする。それは、シノにとって劇的な変化だった。
 いつのまにか空になった容器は、いのがさり気なく片付けてくれた。暇をしなければ、と腰をあげかけるも、二個目はどれにする?と、箱の中身を見せながら、いのが言う。選んだ二個目は、抹茶味だった。







※シノくんがあからさまに不審者で申し訳ない。ちなみにシノくんの用事は、いのちゃんの店に行くことと、いのちゃんにプリンを渡すことの二点です。不器用さん。




2008/02/08