弾む足音



弾む足音




「ういス」
「今日も時間通りか。意外と律儀な男だな」
 懐中時計を取り出し、テマリは待ち合わせの時間が過ぎていないことを確認する。面倒くさがりの癖に、シカマルが遅刻してきたことは今まで一度もない。パチンと蓋を閉じると、テマリは懐に時計をしまった。
「そらぁ任務だからな。しかも、大事な使者さんの案内役ともなると、色々うるさいんだよ。特に上が」
 テマリが中忍試験の打ち合わせで木ノ葉の里を訪れてから、もう二週間が経つ。
 多忙な日々に流され、ついつい忘れてしまいそうになるが、砂の忍は木ノ葉崩しに手を貸した立場である。たとえ大蛇丸が主導をとっていたとしても、その事実は変えようがない。一度は崩壊寸前に追いやった木ノ葉の里を、今は自由に歩き回っている。そんな自分の姿に、テマリは時々違和感を覚える。平和すぎるのだ、この里は。
「砂の上忍の接待は、かなりの苦痛とみえるな」
 口端を持ち上げてテマリが問えば、シカマルはだるそうに息を吐く。
「あんた相手に、気取ることもねぇよ」
「違いない」
「あ、そうだ。茶ぁでも飲んでいかねぇか?前の会議が長引いててな、中途半端に時間が空いちまった」
「お前の奢りか?豪気なことだな」
「自腹なわけあるか。接待費で落とすんだよ」
 へらりとシカマルは笑い、行きつけの茶屋へと足を向ける。議論が煮詰まったり、気分転換をしたい時などに、ここをよく使う。団子が絶品なこともあり、テマリも木ノ葉を訪れた際には頻繁に足を運んでいる。



「あら、いらっしゃい。今日は早いねぇ」
 暖簾をくぐれば、馴染みの店員が笑顔で出迎えてくれた。いつも寄るのは午後か夕方だ。昼前の今、二人の顔を見るのは珍しいとみえる。団子の味もさることながら、店員の気風のよさと適度に放っておいてくれる気遣いが常連客を呼び込むのだろう。女一人で店に入っても、変わらない気楽さがそこにある。
「こんちは。いつもの頼んますわ」
「私は、みたらしを二本。そういや、何の会議が長引いているんだ?内政に関わることなら別にいいんだが」
 大通りに面したいつもの席に腰をかけ、テマリは疑問を口にする。
「たいしたことないんだけどな……人員の割り振りがうまいこといかねぇのよ。今頃になって試験官を交代、なんてことにはならねぇが、ちとめんどくせえ」
 面倒くさいのは、会議の内容ではなくテマリへの説明だろう。この男はいつになってもこんな調子で、成長する気配すら感じられない。さながら、捉えどころのない雲のようだ。
「待つとしたら、小一時間ぐらいか?」
「まあ、そんなとこ。大事な使者さんを待たせるのは体裁悪いってんで、こうして接待してるわけだ」
「その大事な使者から言わせると、接待よりは手合わせをしてくれる方がよっぽど有難いんだがな」
「じょーだん。クソめんどくせー」
 テマリの一言に、シカマルは空を仰いで情けない声を出す。
 忘れもしない二年前の中忍試験。各国の大名がずらりと居並ぶ中、隣の阿呆面相手にテマリは屈辱的な敗北を経験した。幾度再戦を申し込んでも、言葉巧みにのらりくらりとかわすだけで、クナイどころか拳すら構えようとしない。なにも、同盟国同士で殺りあおうと言っているわけではない。ただ単に、この男の本気を見たいだけなのだ。とっくに上忍クラスの腕を持っているくせに、それを積極的に使おうとしない。相手は他国の忍だというのに、何故だか腹立たしささえ覚える。
「いいじゃねえか、あんたには一回助けられてんだから。あんなんチャラだろ」
「馬鹿を言うな。大観衆の前で恥をかかされたのだぞ、私は。チャラになるわけないだろう」
「だーから、あれはチャクラ切れだっつってんだろ。あんたの勝ち。俺の負け」
 ぼりぼりと頭を掻くその仕草がまた気に入らない。まともに話をする気がないのだ。こうなったら五代目火影に直訴してみるかと本気で思いかけたその時、テマリの思考をシカマルの声が遮る。
「あ、待てよ?あれならいけるか……」
「なんだ、手合わせする気になったか」
「あんたさあ、将棋できる?碁でもいいけどよ」
「ショーギ?なんだそれは」
「まあ、盤上で持ち駒を取ったり取られたりするゲームだと思ってくれりゃいい」
「なんだ、遊戯の類か」
 馬鹿にしたような顔で、ふっと息を吐く。遊戯で勝ち負けを競うなど、子供のすることだ。そんなテマリの様子を見て、シカマルは膨れ面で切り返す。
「あのなあ、ただのゲームだって馬鹿にすんなよ。あれで奥が深けえんだからな。そもそも軍師が戦略を練るのに使っていた駒が、ああいう遊びの原点なんだ」
 その言葉はそっくりアスマの受け売りだったが、戦略という言葉はテマリにとって魅力的に響いたらしい。目つきが途端に変わる。
「戦略……ねえ」
 足を組みなおし、テマリが真剣に呟く。あと、もう一押し。シカマルはにやりと笑って、とどめの一言を口にした。
「将棋だったら、誰が相手でも参ったは言わねえぞ、俺は」
「よし、乗った」
「おーし、決まりな。あんた強そうだから、一度やってみたかったんだ。ちと待ってろ。家からルールブック持ってくる」
 腰の重さは誰もが認めるところのシカマルが、すっと身軽に立ち上がる。気が変わらないうちに、と焦っているのだろうか。いつも通り、だるそうに歩けばいいものを。
「まるで子供だな」
 茶を啜りながら、テマリはこっそりと笑った。



「テマリさん!どーも、お一人ですか?」
 任務に向かう途中だろうか、店の前を通りかかった山中いのが、手を振りながら近づいてくる。手に持った湯のみを置き、テマリもまた手を挙げて挨拶を返した。
「いや、連れがいることにはいるんだが……」
 まさか、家に将棋の本を取りに行っているなどとも言えず、もごもごと口ごもる。
「ああ、そうだ。シカマルだったら、さっきすれ違いましたよ。案内役のくせに、あの馬鹿何やってんのかしら。あ、もしかして、あいつ遅刻ですか?」
「遅刻?何故だ」
「任務以外であいつが走るなんて、滅多にないですから。そうじゃなかったら、今日は雨が降るかも。洗濯物干しっぱなしにしてきちゃった」
 至極真面目な顔でそんなことを言うものだから、テマリはついつい笑ってしまう。
「あ、笑い事じゃないんですよ。一年に一回走ればいい方なんですよ、あいつは。だから、よっぽど急ぎの用なんだろうなって」
「いのー、アスマ先生が待ってるよー」
 大通りの向こうで、秋道チョウジがいのを呼ぶ。やはり、任務に行く最中だったか。
「ごめーん!今行くー!じゃ、テマリさん。また!」
 いのは長い髪をひらりとなびかせて、チョウジの元へと去っていった。
 一年に一回走ればいい方。幼馴染のいのが言うのだから、きっとそうなのだろう。そんなものぐさ男が、遊戯の本を取るために駆けるとは。
「……そんなに面白いのか、ショーギとやらは」
 テマリはずっと茶を啜り、団子を頬張る。きっとすぐに帰って来るだろうから、団子は今のうちに片付けておくことにする。一串を食べ終え、もう一串。
 弾む足音が、遠くに聞こえた。






※その後、砂ではちょっとした将棋ブームが到来。




2007/06/10