口癖



口癖




「じゃあ、また今度な。シズネのねーちゃん」
「はい、ではまた」
 そんな会話が聞こえてきたのは、ゲンマが火影屋敷の廊下の角を曲がった折のことだった。床を叩くサンダルの音が、遠ざかっていく。元気が良いのは結構なことだが、足音を必要以上に響かせる忍というのも、いささか考えものだ。ポケットに手を突っ込みながら、ゲンマは思う。
「仲いいねえ、相変わらず」 
「ああ、ゲンマさん。こんにちは」
「はい、こんにちは」
 声を掛けると、シズネはいつものように行儀良くお辞儀をしてくる。それに倣って、ゲンマもペコリと頭を下げた。バンダナの端からこぼれる髪が、すっと視界を横切る。
「いつ見ても落ち着きねえのな、あのガキ」
「そうですねえ。もう少し忍らしくして欲しいと、綱手さまも常々おっしゃってます」
 いつぞやの中忍試験にて、名門日向家の天才相手に見事な勝利を収めたナルトのことを、ゲンマはよく覚えていた。ナルトが伝説の三忍の一人、自来也と共に修行へ出たのは二年と半年前のこと。その間、変わったのは体格ぐらいだろうか?帰郷したばかりのナルトと話をする機会があったのだが、特徴的なあの口癖が抜けていないことに、ゲンマは笑った。
 そこで、ふと目の前に立っているシズネのことが気になった。ナルトの「だってばよ」と同じように、シズネにもまた、口癖があるのだ。それはある意味、ナルトより厄介な性質を持っている。
「そういやお前さ、まだ春野相手に敬語使ってんの?」
 唐突に話題を変えられたことに、シズネはいささか戸惑ったようだったが、やがて困ったように笑う。痛いところを突かれた。そんな顔だ。
「ええ、まあ」
「妹弟子だろ?その辺、いいのかね。示しが付かないっていうかさ」
 長いこと綱手と放浪生活をしていたせいだろう、シズネは誰と話すときも常に敬語を使う癖が染み付いてしまっていた。特別上忍であるエビスも口調は丁寧だが、それとはまた違い、シズネの物腰は穏やかだ。仮にも、地位は上忍。それなりの威厳というものが必要なのだが、シズネに関して言えば皆無に等しい。
「……綱手様にも同じこと言われました。でも、ダメなんですよねぇ」
 里に帰ってきたばかりの頃は、気を張って部下に命令口調を用いていたが、気疲れの方が大きくて最近はそれもやめてしまっていた。ふう、と息を吐くシズネを見て、ゲンマは重症だと密かに思う。
「もうさあ、全員豚だと思えば?」
「なんですか、それ」
「トントンだっけ。いっつも抱えてる豚。あいつに話かけてる時ぐらいじゃねえの?敬語使ってないのって。下忍や中忍の連中は全員アレだと思ってさ、もう切り替えちゃえよ」
「あの、ゲンマさん」
「なんだよ」
「それは木ノ葉の忍に大して失礼というか……あんまりじゃないかなーと」
「お前の威厳の問題なんだろ?そうするしかねぇじゃん。あとは、そうなあ……賭けでもすっか。お前が敬語やめられたら、お前の勝ち。やっぱり敬語のままだったら、オレの勝ち」
「すみません、賭け事は遠慮させてください」
 賭けという言葉を聞いて、声のトーンが一気に沈んだ。綱手と共に居る間、よほど難儀な目にあったのだろう。顔を伏せるシズネに、ゲンマは重ねて問いかける。
「なんで?五代目にそれとなく漏らしてさ、オレが勝つ方に賭けさせんの。そうすりゃ簡単に敬語やめられるっしょ」
 我ながら名案だと思った。五代目に賭け事を絡ませれば、口癖など意のままに操ることが出来るはず。五代目には申し訳ないが、博才にとことん見放された運命を有効に使わせてもらおう。
「あのですね、もし、万が一の話ですが、綱手様が賭けに勝ったとします」
 一人納得しているゲンマを前に、シズネは重い口を開いた。
「その場合、反動が物凄いんですよ。いつだったかパチンコ屋でスリーセブンを当てた時、あの大蛇丸と揉めて、伝説の三忍が本気でぶつかりあうという、一生にあるかないかの経験をしました。この前、木ノ葉ジャンボ宝くじの一等を引き当てた時なんか、風影様が暁に拉致されました。私が敬語を使わなくなるかわりに、一体何が起こるのか……想像もできません」
 至極真剣な顔でそんなことを言うのだから、ゲンマも言葉に詰まる。
「……オレ相手に練習してみるか?」
「はあ」
「任務以外でも名前呼び捨て。敬語も一切なし。どうよ?」
「どうよって言われましても」
「今度の任務まで、敬語使わない。そういうゲームだと思えって。あ、罰ゲームはメシ代おごりね。オレ、結構食うから覚悟した方がいいよ。んじゃ、スタート」
「え、あの?スタートって、何がでしょうか」
「あらあ、敬語使っちゃったー。ちなみに三回までは使ってもオッケーね。今のはカウントに入れないからいいけど」
「ちょっとゲンマさん、私の意見はどうなるんです……じゃなかった。どうなるの?」
 いささか棒読みなのが気になるが、まずは合格としよう。
「まあ、お試しでやってみなよ。今日のメシ、どこで食おうか迷ってんだけど、どっかオススメある?」
 その問いかけをきっかけに、ゲンマはまるでお見合いの席にいるかのように、次々と質問を投げかける。シズネは書類を腕にぎゅっと抱えて、ところどころ躓きながらも問いかけに応えた。ゲンマは元来、誰を相手にしても労せず話が続くタイプであり、つまりはよく喋る男だった。会話は弾み、そのうち自然に話題が出てくる。それが心地良くてすっかり安心したのだろう、いくつか会話を交わした後、シズネの口からついて出たのは、そうなんですよね、といういつも通りの相槌だった。
「あ、間違った!」
 悔しそうに目をつむるシズネの姿が、おかしくて、可愛くて。ゲンマは我慢しきれずに、つい吹き出してしまった。その声は、思いのほか廊下に響いた。気まずい空気が、すっと二人の間を通り過ぎる。
「わり、別にバカにしたわけじゃなくてね?」
「……もういいです、一生敬語のままで」
 怒ったシズネの機嫌を取るべく、本日の昼飯代をゲンマが持つことになったのは、また別の話。






※サスケが里抜けした時、シズネさんは敬語使ってなかったけど、それは任務だからと気を張ってたんじゃないかしら、と妄想。シズネさんの敬語は一生ものだと思う。そこがカワイイ。



2007/01/25