花とみつばち



花とみつばち




   一.


「こんなところかなっと」
 カルテの整理は、あらかた終わった。満足げに微笑むと、いのは保管室を出て休憩所へと向かう。この時間なら、サクラが居るはずだ。医療忍としてのスキルはまだ及ばず、油断をすればその差は開く一方。それでもいのとて、筋は良いと綱手に目をかけられている。ライバルとしては、任務や修行の内容について探りを入れておかねばなるまい。
 よし、と気合いを入れて廊下に出れば、同期の一人とばったり出くわす。
「あれ、シノじゃない。最近見かけないなーと思ってたんだけど、長期任務?」
 同期の寡黙な男は、こくりとひとつ頷いた。
「親父と一緒に、しばらく里を離れていた」
「へー、最近多いよね、油女のおじさんと一緒の任務」
「ああ」
 相変わらず、言葉数が少ない。それは別に人間嫌いというわけではなく、そういう性分なのだと理解していた。そういえば、シノの父親も静かな男なのだと父から聞いたことがある。きっとシノは父親似に違いない。
「じゃあ、ヒナタによろしくね」
「うむ」
 簡単な挨拶を交わして、お互い反対方向へと足を進める。ところがいのは、カルテ整理がてらに済まそうと思っていた野暮用を不意に思い出し、くるりと踵を返した。すると見えるのは、つい先ほど別れた同期の背中。その歩き方は、いつもと違う。明らかに右ひざを庇っていた。負傷しているのだと、すぐに看破する。
「シノ」
「なんだ」
「こっちきて」
 ちょいちょいと手を振り、保管室へと招き入れる。
「ここ、座って」
「なぜだ」
「いいから座る!」
 有無を言わせぬ勢いでいのは捲くし立てると、シノはしばし黙考した後、しぶしぶといった様子でパイプ椅子に腰掛けた。それを横目に見ながら、いのは所用を済ませる。なんてことはない、調べものがあっただけだ。目当てのファイルを見つけると、紙片に薬草の名前をさらりと走り書きし、それをポーチに押し込んだ。背後のシノに目を向けると、ポケットに手を突っ込んだ格好で大人しく座っている。
「ごめん、待たせた」
 そう言うと、いのはパイプ椅子の前にしゃがみこみ、シノが身に付けているズボンの裾をめくりあげようと手を伸ばした。するとサングラスの奥、シノは目をこれでもかというほど開き、椅子ごと後ろに下がる。
「おい、山中」
「どしたの」 
「それはこっちが聞きたい」
「怪我の治療よ。別に痛いことしないから、さっさと足出しなさいって」
 ここは同期のよしみ、任務外の治療を引き受けているのだ。恩着せがましく感謝をしろとは言わないが、嫌がられるのも心外だ。
「肌を見せないと、ダメか」
「布越しでも、できないことはないけど……」
「じゃあ、それで頼む」
 理由はよくわからないが、シノは必要以上に肌の露出を避ける傾向がある。身体が大きくなるに従ってそれは顕著になり、最近ではとうとう目元以外のすべてを衣服で隠すようになった。
「これ、刺さった千本を、力任せに引き抜いたわね?」
 小さな穴が空いているズボンと、染み付いた血痕。それを見れば、容易に知れる。まったく無茶なことをするものだ。確かに、千本で致命傷に至ることはほとんどない。とはいっても、それなりの処置を施さねば、なんらかの後遺症が残ることもあるのだ。
 顔を上げてシノの反応を伺えば、おそらく図星なのだろう、気まずそうに沈黙を守り通している。
「病院に行くほどじゃないっていうのは、勝手な判断。命取りになるわよ」
「……病院は好かん」
「好き嫌いを言ってる場合じゃないでしょ。大体、キツい任務を終えた後は、外見上大した怪我がなくても医療班のお世話になるものだし」
「俺は、」
「蟲がいるから大丈夫?それこそ傲慢よ。毒抜きや麻痺には対応できても、外傷を癒すことはできないでしょ。違う?」
 いのの追求は、止まることがない。しかも、自分の身を本気で案じていることがわかるから、シノも無下にあしらえないでいる。この先、どうせ知られることになるなら、今のうちに言っておくか。世話焼きの同期を前に腹を括ると、シノは重い口を開く。
「正確に言えば、身体を晒すのに抵抗がある」
 布越しの声は少しくぐもっているが、すぐ足元にしゃがんでいるいのには、ちゃんと届いていた。
「知っているとは思うが、俺は身体に蟲を寄生させている」
 蟲使いの油女一族。シノがその末裔であることは、初めて受けた中忍試験において、すでに明らかとなっている。
「しかも、体内の細胞と同じぐらいの量を、だ。自分でコントロールはできるが、危険を察知すると不意に飛び出すことがある。必要以上に服を着込むのは、蟲を敵の目から隠すため。だが、それだけではない。一族以外の人間に、恐怖心を与えないように、という配慮でもある」
「配慮?何に対する?」
「稀有な存在は、ひとつ間違えば畏怖の対象ともなり得る。そういうことだ」
「つまり、見られたくないと。いわゆるコンプレックスってやつ?」
「そうではない。俺はこの能力に誇りを持っている。負い目を感じることなど、一切ない」
「……優しいんだね、シノは」
 こびりついた血をすっと指でなぞると、いのはズボンの裾を膝まで捲り上げる。
「おい、待て。山中!」
 医療班の世話になるということは、それすなわち、身体の内に寄生させている無数の蟲たちを晒すということ。幼少時の経験が、シノを臆病にさせる。蟲たちとのコミュニケーションがうまく取れなかった頃、勝手に蟲が皮膚を突り破り、そのたび他人を驚かせたものだ。あの反応から鑑みるに、蟲の存在は決して気持ちの良いものではないはずだ。
「いいから黙んなさい。すぐ終わるから」
 千本は、右ひざを斜めに貫通していた。これでは、膝の関節を動かすたびに、痛みが走るはずだ。いのは、右手を翳して治療に入る。すると、チャクラの流れに沿って小さな蟲が蠢いているのがわかった。視認できるわけではないが、流れてくる「感覚」でわかる。
「ああ、これが蟲か。ねえ、これって一種類だけ?それとも、何種類もいるの?」
 いのは物怖じすることなく、実に手際よく傷を塞いでいく。シノは、返答をするのも忘れて瞠目し、いのの顔を見ていた。足元に居る女は、顔を強張らせるどころか、その口に笑みさえ浮かべている。
「シーノ!どしたの、ぼうっとしちゃって」
「あ、いや、悪い」
 変なの、とひとりごちて、いのは腰のポーチから包帯を取り出す。そして、関節の動きが鈍くならないように気をつけて傷口に包帯をまいていった。
「はい、終わり。任務外だけど、今回はサービスしとくから。長生きしたかったら、ちゃんと医療班のお世話になるのよ?いい?」
 こくりとひとつ頷くと、いのは嬉しそうに破顔し、出口の扉へと向かった。
「一種類ではない」
「うん?」
「状況によって、蟲を入れ替えたりもする。一概には言えない」
 さきほどの問いかけに答えを返してくれたのだ。能力について問いかけても、だんまりを決め込むことが多いとキバが愚痴っていたが、そんなことはない。ちゃんと答えてくれるではないか。
「へー。その種類ってやつ、いつか教えてね。勉強になるから」
 からり、と軽快な音を立てて扉が閉まる。
 礼を言うのを忘れたとシノが気づいたのは、軽く五分以上過ぎてのことだった。







2007/11/07