でたらめな人



でたらめな人たち




「んじゃ、何はともあれ乾杯っと」
「「かんぱーい」」
 いつもの赤提灯の奥座敷。
 志波海燕の声に合わせて乾杯の言葉を続けると、檜佐木修兵と松本乱菊は、海燕がぞんざいに掲げたお猪口に自らのお猪口を軽く合わせた。以前の飲み会で海燕に言われた「呑みに連れてってやる」という言葉が、本日無事に実現されたのだ。この場になぜ乱菊が混ざっているのかは不明だったが、男同士がサシで呑むのもつまらんから声を掛けたのだろうと修兵は勝手に解釈した。席官同士の飲み会では常連らしいし、女を意識させない言動がまた誘いやすい。
「肴、適当に頼んどいたから。串ものから煮物から干物までバランス良く。好き嫌いしないで食べるんですよ?」
「わかってますよ……残したら罰金制でしょ?どうせ」
 海燕の言葉は、主に乱菊へと寄せられたようだ。乱菊は、面白くない顔で、ぼそっと呟く。
「食い物の好き嫌い、激しいんスか?松本さん」
 その豪快な性格から、出されたものは何でも平らげるんだろうな、などと失礼なことを修兵は考えていた。酒呑みだが甘味物も好んで食す上、共に食事をしていても何か残すところを見たことがない。
「別に激しくはないけど……海燕さん、アレ頼んだでしょ、アレ」
「ん?頼んだよ?アレないと始まんないもん、俺」
 修兵は疑問を抱きながら、黙って二人の会話に耳を傾ける。くさやとかその辺だろうか。まるで見当がつかず、首を傾げながら一献。
「だから!一人分頼みゃいいじゃないですか!人に好みを押し付けないで下さいよ!」
「乱菊……お前にはさあ、いつまでもいい女で居て欲しいんだよ、俺は。だから、はい、」
 絶妙なタイミングで店員が運んできた小鉢を手に取ると、海燕は口説いているが如き真剣顔で乱菊を見つめながらそう言った。だが、言葉は途中で遮られる。乱菊の手刀によって。
「いって!……お前なあ!健康にいいんだぞ、もずく酢は!」
 海燕は手刀を食らった首に手を当てながら、大真面目な顔で力説する。
「へえ、もずく嫌いなんですか?」
 こりゃまた意外な。酒飲みなら好んで食べそうなものを。以前足を運んだ酒宴ではどうだったか?思い出そうとする修兵を、乱菊の声が妨げる。
「修兵、あんた嫌いじゃないの?」
 よほど呆けた顔をしていたのか、乱菊の声はふてくされたものだった。
「俺、好き嫌いないんで」
「ほら、乱菊。お前だけだぞ、わがまま言ってるのは。ちゃんと残さず食べなさい」
 この父親のような言い方が癪に障るらしく、乱菊はぐっと拳を握ると、いつか仕返ししてやる、とひとりごちる。
「酢の物全般嫌いなんスか?」
「いや、これが違うんだよ、酢であえたものはうまそうに食うんだけどさ、もずく酢だけは嫌なんだと。うまいから食え食えって言ってんのに、口にしようともしねえの」
 乱菊に向けての言葉だったが、答えは全て海燕から返ってくる。まるで全てを把握しているかのように。
「海燕さん、あたしの代わりに全部答えるのやめてくれません?話に参加できないんですけど」
 乱菊がむくれた声を差し挟むが、海燕はその口を閉じようとしない。
「でね、その嫌いな理由がさあ、こんなもの生まれてこの方見たことないから口にしたくない、だってさ。笑っちゃうよなあ!俺ら一度死んでるっての!」
「じゃあ、前世はもずく酢の中で溺れて死んだんですよ、きっと」
 話の方向を変えるのが難しいと思ったのか、どうでもよさそうな口調で乱菊が言う。
「うーん、いくら俺でもお前の前世はわからんからなあ」
「……そうやって自分の女だったアピールするの、いい加減やめましょうよ……」
「え、いいじゃん。本当のことだし」
 一瞬聞き流しかけた二人の会話だが、修兵はそこに含まれる重要な何かに感づくと、うえ、と奇妙な声を出す。
「ちょっと待って下さい。お二人ってもしかして……」
「お付き合いしてましたよー。随分前の話になるけど。お前、こんなに偉くなかったもんね」
 がしがしと乱菊の頭をかき乱しながら話を振れば、ああそうですね、と海燕のされるがままに頭を揺らせて投げやりな相槌が返ってくる。これは初耳だった。その手の噂や昔話は、概ね風聞で伝わってくるものだ。誰と誰が夜に逢引をしていただとか、誰と誰が男女の関係だとか。しかしそれもこれも、当人達が知らぬ顔をしたり隠そうとしたりするからこそ、周囲が面白がって囃し立てるのだ。よって、このように過去を隠そうともしない場合、面白みも何もないためにかえって噂話を寄せ付けないのかもしれない。
「当時は海燕さんに飼われてるんだと噂が立ったこともありました」
 いささか棘のある口調。乱菊は酒をあおると、手酌で自らのお猪口に酒を注ぐ。
「そうかね?どっちかっつーと夜の主導権はお前にあったような……ごふっ」
 いい加減切れた乱菊が、海燕の鳩尾を肘で突く。しかも、手加減なしで。
「そういうとこ直せってーの!あんたが言うと冗談に聞こえないのよ!」
「あ、ちょっとタンマ」
 顔を伏せたまま手のひらを前に出し、海燕が言う。申し開きでもあるというのか。乱菊は机に頬杖をついてお猪口を持つ。
「何、どしたの。何か間違ったこと言った?あたし」
「いや、大便。今のショックで」
 のっそりと立ち上がったかと思えば、そんな一言。オブラートに包めないのだろうか、この人は。口の中の酒をぶっと噴き出しそうになるのを堪えて、修兵は思う。
「いちいち口にすんなっ!いい加減にデリカシー身に付けなさいよっ!」
 机に思い切りお猪口の底を叩きつけると、乱菊は海燕が尻に敷いていた座布団を、その背中目掛けてブン投げる。それをひらりと見事に避けて、海燕は厠への道を飄々と歩いていった。
「あーもう……全っ然変わりゃしない」
 乱菊は心底疲れきった声を出して、席を立った。投げた座布団を回収するためだ。
「昔も、今みたいに口喧嘩してたんすか?二人ともなんか似てるし……いや、」
 あ、怒られる。
 咄嗟に身構える修兵だが、乱菊はといえば、座布団をぽんぽんと叩いて座敷に戻る。怒る気配はなく、むしろ「似ている」という言葉を肯定しているように見えた。
「そうねえ、昔も喧嘩できてたら、別れずにすんだかもねえ」
 自分の隣に座布団を置くと、修兵の空いたお猪口と自分のお猪口にそれぞれ酒を注ぎ足す。
「え?それじゃあ、前はこんな風じゃなかった?」
 酒を注がれたことへの礼も忘れて、修兵は問いかけた。口喧嘩をしている方が、よっぽど素直に想像できる。かといって、しとやかな乱菊というのもまた想像しがたいものがあり、何が何やらわからなくなってきた。
「くだらない喧嘩はよくしたけどね。まあ、どうでもいいことなら何でも言い合えるけど、肝心なこと言わないタイプだからさ。男と女って本当に違う生き物なんだなーって、あの時つくづく感じたわ。そういや、あれからだなあ。色恋沙汰がどうでもよくなったのって。あー、嫌なことに気づいてしまった……」
 額に手を当て、がっくりと項垂れる乱菊。立ち直りのきっかけになれるような言葉は、生憎と持ち合わせていなかった。なので、今は茶化す方向へ話を転換させる。修兵はへらりと笑うと、軽口をさらりと浴びせた。
「その割、人の恋路にはちょこちょこ手を出してそうですよね」
「それとこれとは別よお〜。それに邪魔はしてないわよ。傍観してるだけで」
 乱菊はいやに楽しそうな笑みを浮かべながら顔の前で手を振る。策略は成功。というか、乱菊が上手く乗ってきた、といったところだろう。
「だったら吉良の奴からかうのはいい加減よした方がいいんじゃないスかね」
「なぁに言ってんの。あんたと恋次とで散々いじくってるじゃない」
「松本さんとは違って、俺らは真剣ですから」
 あそこまで態度があからさまだと、かえって苛々するというのが本音だが、死線を共にくぐった後輩の一人だ。恋次共々、真面目に吉良を応援している。陰ながら。
「男の友情、いいねぇ〜そういうの好きよ、あたし」
 いつものふざけた顔はどこへやら。お猪口の中身をくっと飲み干すと、乱菊はなんだか眩しそうに修兵を見ながらそう零した。そうだ、少しは真面目に相談をしてもいいかもしれない。きっと、この人だってもどかしく思っているに違いない。
「ねえ、松本さん、」
 続くべき言葉は、雪駄を引きずりながら現れた海燕の一言にかき消される。
「ちょっと二人とも聞いてよ。出た出た。名前に相応しくビッグなのが。ビッグな男は何でもビッグなわけだね!」
「だ〜からいちいち報告しなくていいっ!」
「……海燕さん、マジ勘弁してください……」


 でたらめな人が話を引っ掻き回し、やっぱりでたらめな人が突っ込んだり怒ったり笑ったり。妙に居心地の良さを感じて、修兵も上位席官相手に軽口を叩いたり叩かれたり。ひとたび太刀を振るえば凄腕の席官達が、どうしてこんなにいい加減で子供っぽいのか。
 でたらめな酒宴は、まだまだ続く。







2007/01/14


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