Second Lover



Second Lover




「修兵、居る?」
 いつもは声より先に扉が開くのに、その日に限って扉は閉まったままだった。珍しいこともあるものだと思いながら、修兵は主の居ない執務室で業務をこなしていた。もっとも、いつになく畏まった様子である理由は知れていたのだが。
「ええ、どうぞ。お入りください」
 失礼します、と一応の挨拶をしてから扉が開く。鮮やかな金髪に、魅惑的な肢体。乱菊が、少しばかり生真面目な表情を浮かべて現れた。片手で扉を閉めると、ソファに近寄る。
「現世行き、決まったから」
 ぽつりと、そう一言。前々から現世行きを志願していたのだが、隊長の後押しもあってようやく叶ったらしい。きっとその報告だと予想していた修兵は、やっぱり、と思いながらも喜びを隠せない。望みが叶ったことが、純粋に嬉しかった。
「そうですか、そりゃ良かった!」
 筆を止めると、ぱっと顔を輝かせて乱菊を見上げた。乱菊の性格上、もう少しはしゃいでもいいはずなのだが、当の本人はといえば、あまり晴れ晴れとした風には見えなかった。淡々と、ただ報告をしている。
「嬉しくないんスか?」
「そういうわけじゃないんだけどね。ただ……」
「ただ?」
「向こうで着る服、サイズ合わなくてさ。ボタン止まんないのよ」
「そりゃ大変だ」
 本当か嘘か。乱菊の本質を見抜ける眼は、日一日と鋭くなっていく。修兵は一息つくと、ぐっと深くソファに座り直し、ポンポン、とソファを叩く。そんな修兵の仕草に、乱菊は修兵の足の間にすとんと腰を下ろした。後ろから腕を回し、乱菊を軽く抱え込む。
「叱られるかもしれませんね、あの人に。『おまえ、そんな格好で出歩いたらあかんやろう!』なんて言って」
 独特の口調を真似て、修兵は笑いながら言う。
「でも何も心配することありませんって。日番谷隊長がついてるんですから」
「ねぇ、修兵」
「はい?」
「あんた、嫉妬とかしないよね、全然」
 修兵の肩に頭を落として、乱菊が言う。どこかうわの空であり、ぼやんとした声だ。多分、決定したはいいけれど、自分の中で決着をつけられるのか、不安を覚えているのだろう。今日は早めに仕事を切り上げて出来るだけ一緒に居よう。修兵は、そう決めた。
「しますよ、人並みには。独占欲だってあるし、心配もします。乱菊さん、ただでさえ人目引くんだから。現世で他の奴に口説かれやしないかと冷や冷やしてますよ」
「そうは見えないけどねぇ」
「あ、それはね、日番谷隊長が居るからですよ。俺が居なくたって、あの人が付いていれば大丈夫」
「隊長だって、男よ?」
「副官にとっちゃ、隊長が自分の一番です。だから、乱菊さんにとって一番大事な男は日番谷隊長。それでいいんですよ。だから、俺は二番目の男」
 へらりと笑って、こともなげに言ってのける。
 愛染の裏切り後、九番隊隊長は空席となった。修兵は隊長代行として忙しい毎日を送っている。だが、決して執務室の隊長席には座ろうとしなかった。部下に進言されようが、他の隊長達にそれとなく薦められようが、頑なに拒否をした。ソファで書き物をするよりは、断然身体が楽だろうに。それほど大事だったのだ。隊長の存在が。そんな辛さを微塵も見せず、私情に流されることもなく、修兵は言う。乱菊にとって一番大事な男は、日番谷なのだと。その気持ちが嬉しくて、有難くて。言葉が出ない。
「だから今は、俺にとって一番大事なのは乱菊さんですよ」
 あんたは東仙隊長を連れ戻すんでしょう?
 そう心の中で問いかけるが、口に出すことなどとても出来なかった。背後の修兵がどんな顔をしているのか、その胸中に何を思っているのか。想像するだけで、胸が締め付けられる。喉が言葉を発することを拒絶する。強くて優しいこの人が自分を愛してくれてよかったと、乱菊は心の底から思った。
「乱菊さん、早く隊長になって下さいよ」
「……あたしが、隊長に?」
「そしたら俺、異動願い出して、あんたの下に就きますから。これで、あんたを俺の一番大事な人にできる。ね?名案でしょ?」 
「……ばか」
 堪らなくなり、身体を捻って修兵の身体を抱きしめる。
「乱菊さん、業務中ですよ?そんなことされたら襲いたくなりますから」
「いい」
「いいって、乱菊さん?」
「何されてもいいから、今はこうしてて」
 参ったな、とひとりごちて、修兵は乱菊の腰に手を巻きつける。腕の中の人は、泣いているようにも思えた。だが、何も言わず、しがみついてくる身体を受け止める。背中を擦りながら窓の外を見れば、陽は西に傾きかけ、その光を茜色に変えようとしていた。


「お土産持って帰ってくるから」
 いつもの笑顔を見せて、乱菊はソファを立ち上がった。ここへ来た時に見え隠れしていた翳りは、すでに無い。瞳を覗き込めば、生き生きとしたあの輝きが戻っている。
「期待しないで待ってます。あんまり遅いと日番谷隊長に怒られますよ?ほら、行かないと」
「ん、ありがとね、修兵」
 修兵の襟を引っ張ると、触れるだけのキスを交して、乱菊は執務室を出て行った。
「そっか……現世、行くのか」
 乱菊が「あの人」に出会う確率はほとんどないと、修兵は睨んでいた。愛染の側近が、早々と姿を現すはずがない。出会うとすれば、最後の最後。敵側の最強の駒として乱菊の身を狙ってくるだろう。その時、自分が盾になれればいい。その時までは、どうか。
 どうか、ご無事で。





2006/12/17


back