08.好きすぎて、泣けてくる



08.好きすぎて、泣けてくる




 松本乱菊は、音を上げない死神だ。
 どんな困難が待っていようが、苦しい顔なんかひとつも見せずにこなしてみせる。普段は砕けた態度を取っているが、ひと度大事が起これば優秀な死神として刀を振るい、不条理な命令には納得するまで断固として屈しない。そんな乱菊の調子が、最近おかしい。理由を直接質したことはないが、先日十番隊隊長を拝命された天才児との付き合い方に悩んでいるのではないだろうかと、修兵は睨んでいた。書類を届けに行っても、二人の間に流れる空気は重いというか微妙というか、上司部下の関係が正常に機能していないのだなと容易に察することができた。
 今日も修兵は、書類を届けに十番隊の詰め所に寄る。執務室に目当ての人物の姿はなく、副隊長が一人黙々と筆を取っていた。ぎくしゃくとした空気はなかったが、乱菊の横顔は明らかに冴えないものだった。
「浮かない顔ですね、乱菊さん」
「ああ、修兵か。ちょっとね、疲れが溜まってるみたいで」
 声を掛けると、乱菊は筆を置いて大きく伸びをする。
「もしかして、隊長とのこと、とか?」
 首を傾け、右手で左の肩を揉んでいた乱菊だが、急に深く溜息を付くと、残った左手でお猪口を傾けるような格好を取る。
「今日、付き合わない?」
「とことん付き合いましょ」


「苦手、なんすか?」
 いつもの赤提灯でいつもの席に座り、一杯飲んだあたりから修兵は単刀直入に切り出した。
「うーん、ちょっと違うなあ。どう付き合っていいのかわからないのね、多分」
「相手が子供だからっスか?」
「子供だからっていうんじゃないのよ。曲りなりにも隊長の責務を任されるぐらいの人だから、プライドもあれば威厳もあるし、頭も相当切れる。腕もね、私なんかじゃとても敵わない。だけど、今までの調子で近づいても反応ないし、かといって淡々としたドライな上司部下の関係を築くってのもなんかねぇ、肩凝るし」
 そう言なり乱菊はゴキッと肩を鳴らし、眉根を寄せる。その様子から、相当に気を使っていることが知れた。
「そら、乱菊さんとしては本望じゃないでしょうね。多分、日番谷隊長にとっても」
 修兵はお銚子を掴むと、乱菊のお猪口に酒を注ぐ。
「隊長が?そうかなあ」
「だって、いくらやり手の天才隊長とはいえ、一人で勝手に仕切るわけにもいかないでしょ。部下の信頼を得ないと、部隊は成り立ちませんって。それ、乱菊さんが俺に教えたことですよ」
「あーそっかー。思えば偉そうなこと言ったなーあたしも」
 ガックリと肩を落として、修兵に注いでもらった酒を一口含む。こりゃ重症だ。修兵は見えないように苦笑をすると、こっそりと本音を漏らした。
「まずは信用できる副官を作ることが先。案外焦ってるんじゃないすかね、日番谷隊長も」
「焦る?あの隊長が?だったらちょっとはこっちのペースに乗ってくれてもいいじゃないの。まったく……」
「あのクソガキ、は禁止ですよ」
「んなこと言わないわよ!実際思ってないし」
「なら話は早い。じゃあ、さっさとこっちのペースに持って行きましょ」
「何、修兵。何かいい手あるの!?」
 だらしなく頬杖をつき、やさぐれたように酒を呑んでいた乱菊が、目の色を変えて修兵に食いつく。藁にも縋りたい気分だったのだろう、今まで見たこともないほど必死の装いだ。
「あるというか、ないというか。大げさなことじゃないですけど、乗ってみます?」
 修兵は、顔を寄せた乱菊に自分が考えた策の一部始終を伝える。
「……とまあ、それだけの内容です」
 乱菊はうーんとひとしきり捻った後、かっと酒を一気に呑み干す。
「よし。その作戦、乗った」


「隊長、お八つの時間にしましょう」
 乱菊は時計を見るなり、ここに決裁の判を下さいと言う時と同じ口調で、日番谷に話し掛ける。日番谷は、自分に掛けられた言葉を前に、眉根をこれでもかと寄せ、不機嫌そうな様子で面を上げた。
「はあ?お八つ?お前何言ってんだ?」
 見れば、大きな机の上に広がっていた書類が綺麗に纏められており、お茶はなぜか三人分用意してあった。乱菊はといえば、ごそごそと紙袋の中を探っている。呆けている日番谷の耳に、またひとつ違う声が届いた。
「失礼します」
 声と共に開けられる襖。その奥から現れたのは、九番隊副隊長、檜佐木修兵。
「ども、お邪魔します。あ、今日は豆大福ですね。お茶と合うんですよね、これが」
 日番谷に向けて一礼すると、修兵は襖を閉めて乱菊の側に近寄る。今日は奮発したのよーという乱菊に、俺の大好物ですよーなどと呑気に答える修兵。実にほのぼのとした会話が繰り広げはじめた。
「檜佐木!てめえ、勝手に入って馴染んでるんじゃねえよ!とっとと九番隊に帰れ!」
「いやあ、帰れと言われましても、これ習慣ですし……ねえ」
 ソファに座った修兵は、困ったように隣の乱菊を見る。
「そうそう。あたしと修兵と前の隊長、仲良かったんですよ。んで、三時になると全員集まってここで休憩。隊長、もしかして知りませんでした?」
「知るも知らねえも初耳だ」
「じゃあ、隊長も慣れて下さい。本日目出度く再開しましたので。ねえ、修兵」
「そうそう、習慣ですから」
 日番谷は渋々立ち上がると、乱菊の前にどさりと座り、腕を組む。
「で、何すりゃいいんだ」
「だから休憩ですよ。今日も仕事しましたねーとか、この間の栗饅頭美味しかったなーとか、そういう世間話しながら。隊長、もしかして甘い物お好きじゃないとか?」
「……いや、そうでもない」
 じっと豆大福を見ながら、日番谷は答えた。おそらく好物なのだろう。眉に寄った皺の数が、減っている。
「ならよかったです。これでも悩んだんですよー。お煎餅がいいかしら、とか。落雁も捨てがたい、とか」
「その頭を仕事に使え、仕事に」
 ずっと茶を啜って、日番谷。
「だから、その仕事を円滑に進めるための休憩ですよ。ねえ、乱菊さん」
 もぐもぐと豆大福を口一杯に放り込み、聞き取りにくい発音で修兵が尤もらしい事を言えば、
「そうそう。よくわかってわねー修兵はー」
 大口を開けて乱菊も豆大福にかぶりつき、その旨みを存分に堪能する。
「じゃあ、俺も頂くとするか」
 羽織の袖をひらりと外に避けて、豆大福をつまむ。じっと自分を見つめてくる修兵と乱菊の視線を気にしながらも、日番谷は豆大福を口に入れた。甘すぎず、後味の上品な餡に、外を包む柔らかな餅。
「……うまいな、これ」
 はじめて見る、年相応の顔。一旦茶を啜ると、更にもう一口。うん、うまい、と首を縦に振りながら、日番谷はぺろりと豆大福を平らげた。前に座る二人はといえば、心の中で盛大なガッツポーズをしながら、日番谷の反応に食いつく。
「でしょう!?乱菊さんの選んでくるお菓子に外れはないんですよ。鼻が利くんだ、これがまた!」
「まだありますから!どんどん食べてください!食べ過ぎてどうなることもありませんし!」
「お、おう。悪いな。じゃあもうひとつ」
 まるで珍獣の餌付けに成功したかのような二人の喜びように戸惑いつつも、日番谷は乱菊の手から豆大福を受け取った。それを機に会話はなんとなく弾むようになり、策はとりあえず成功したと言って良いだろう。
 修兵の考えた策は、実に簡単なものだった。単に仕事を離れて話す機会を増やす、ということ。しかも毎日。何やかやと毎日世間話をしていれば、仕事中にふとした会話を交すのも慣れるだろうし、互いを知っていくこともできるだろう。間に修兵が入ることによって、さりげなく話題を操作することもできる。その甲斐あってか、十番隊の隊長と副隊長の関係は飛躍的に向上した。互いの考えと思いやりがすれ違っていただけであり、水が合わないというわけではなかったらしい。戦闘時のコンビネーションも上々だと聞く。とは言っても、相手はあの日番谷だ。底の浅い芝居を見抜かれていたのかもしれない。それでも、お八つの時間などという馬鹿げた策を練った甲斐は、少しぐらいあったと修兵は思っている。
 もう自分がいなくても大丈夫だろうと察した修兵は、「お八つの時間」になっても九番隊の詰め所に残ったまま、いつも通りの業務をこなすようになった。行かなくてもわかる。きっと、十番隊の執務室は乱菊の笑い声と日番谷のふてくされたような声に満ち溢れていることだろう。その光景を想像するだけで、涙が出そうになる。こうやって、あの人は周囲の糸を繋いでいくのだ。自分が何か行動を起こさなくとも、苦労なんか面に出さず、自力で解決していっただろう。今まで気が付かなかっただけで、ずっとそうしてきたのだ。
 しかし、今回はあえて手を出してしまった。あの人にはいつでも笑っていて欲しいがために。それが叶うのだったら何だってやる覚悟を、修兵は人知れず固めた。







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