06.好きでいてもいいですか



06.好きでいてもいいですか




 たまたま仕事上がりの時間が同じだったので、行きつけの飲み屋で一杯引っ掛けることにした。途中、誰か誘おうと話は出たのだが、生憎と誰一人捕まらず。修兵とサシで呑むの、久しぶりねえ、と松本は嬉しそうに笑った。


 数刻後、馬鹿話に興じ、松本にさんざんいじられた挙句に潰された修兵は、松本の肩に右腕を乗せ、引ずられるようにして店を出た。松本は相当の酒豪であるのだが、それ以上に呑ませ上手なのだ。それを承知の上でこうして潰されているのだから、どうしようもない。
「修兵、へーきー?」
「最後の一杯、あれ何です?口当たり良すぎて騙された……」
「いい酒を呑むには、それなりの覚悟が必要ってこと。いい教訓になったじゃない?」
 からからと笑いながら、松本は修兵の肩をポンと叩く。
 こうやっていつもしてやられるのが癪で、たまには驚く顔が見てみたくて。夜風に当たって少しはマシになった頭で、修兵は考える。結論は、すぐに出た。あれしかないだろうなあ、と思いながら一歩。 鼻歌でも歌いだしそうなほどご機嫌な松本の顔を見ながら、もう一歩。この一言を口にしたら、どうなるだろう。修兵は小さな期待を膨らませる。
「ねえ、乱菊さん」
「ん、何よ」
 名前で呼ぶのは、初めてのことだった。同じ副隊長になったら、そう呼ぶと決めていた。
 祝ってもらった時も、副隊長同士ではじめて一緒に仕事した時も、用があって声を掛ける時も、言おう、言おう、とその節々で思っていたのに、ずっと言えなかった言葉。それなりの覚悟を必要としたのに、さらりと流されてしまった。まるで、そう呼ばれるのが当然であるかのように。そういう人だとわかってはいたが、もう少し何か反応があってもいいと思う。
「乱菊さん」
「だから、何よ」
 悔しいから、もう一度。
 だが、反応は変わらない。酒に酔って、いつもよりだらんとした声。何をしても動じないというのだったら、いっそのこと聞いてしまおうか。あの男のことを。
「市丸隊長って、どんな人っスか」
 あなたにとって。
 小さく呟いた最後の言葉は、果たして松本の耳に届いたかどうか。松本は修兵の腕を肩に乗せたまま、足を止めることなく前を行く。どんな顔をしているのか、見る勇気はなかった。怒っているのか、呆れているのか、はたまた困らせたか。自分は思った以上に酔っている。こんな質問、するべきじゃあなかったのだ。忘れてください、そう修兵は言おうと口を開いた。だが、言葉が形になる前に、松本から答えが返ってくる。
「んー、そうねえ、命を拾われた恩人ってとこかな」
 返ってきた言葉は意外にものんびりとした声で、つられて隣を見れば、顎の先に人差し指を乗せ、空に浮かぶ淡い月をじっと眺めていた。
 松本は、どんな言葉でも掬い上げる。丁寧に、漏らすことなく。そのことを改めて実感した修兵は、そんな自分を馬鹿だな、と思った。
「恩人、ですか」
「そ。知ってるだろうけど、あたし流魂街の出身でね。行き倒れてたところをギンに拾われたの。食べ物を分けてくれて、寝る場所を作ってくれて、そこで一緒に暮らしてた。とはいっても、随分と小さな頃だけどね。幼馴染っていうのかな」
 懐かしそうに語るその目は、遠い過去を見つめていた。どんなに目をこらしても、修兵には絶対にその先は見えない。
「でね、私に誕生日をくれたの。人の誕生日を勝手に作ろうと思う?普通。変な奴だなって思ったけど、やっぱり嬉しかった。自分が生まれた証ができたみたいでね。放っておけないのよ、だから。放浪癖はあるし、言う事言う事ホントかウソかわからないし、暇さえあれば人をおちょくる嫌な奴なんだけどね」
 弱りきった顔を見せながらも、市丸への思慕がそこにありありと浮かんでいた。そんなくすぐったい笑顔、見せないで下さいよ。胸の痛みに耐え切れず、修兵は松本の顔からすっと視線をはずした。
「命、助けて貰ったから。ああ見えて、いいとこあるのよ?たとえば……」
「乱菊さん」
 自分から聞いておきながら話を遮るのはどうかと思ったが、それだけ聞けば十分だった。酔いがようやく醒めつつある。肩から腕をはずし、立ち止まった。少しよろけながらも、隣を歩く松本に向き直る。
「あなたは市丸隊長に惚れてるんですか?」
「修兵……?」
 一体何を言い出すのかと、困った顔で松本は問い返す。
「万が一そうだとしても、まあ何も変わりゃしないわけですが」
 天を仰ぎ、一呼吸置く。涼風が、さらに酒の酔いを修兵の身体から奪っていく。素面になった修兵は、今自分に言える最大限の言葉を、思い切ってぶちまける。
「気になって仕方ないんスよ。市丸隊長が、乱菊さんに手を出そうとしてるのはわかってんです。乱菊さんにその気があるんだったら、とっくにそういう仲になっているはずでしょう。なのに、応じる素振り全然見せねぇし……」
「ねえ、あんた話聞いてた?ギンは私の大事な恩人。感情はほとんど家族愛に近いし、あたしたちの仲を疑う連中も居ることには居る。だけどね、」
 続きを聞く前に、修兵は先手を打って疑問を口にする。
「じゃあ、今度また乱菊さんが市丸隊長に迫られている現場を目撃したとして、俺は助けていいんでしょうか」
「……できれば、あんたに助けて貰いたいわ」
「安心しました。それだけ聞ければ、俺は満足です。今日は不躾なこと聞いてホントすんませんでした」
 丁寧に下げた修兵の頭に、松本はポン、と手を置く。そしてぐしゃぐしゃとかき乱すと、
「何が不安なのか知らないけど、あたしは誰のもんでもないわよ」
 帰りの道すがら、市丸との暮らしは長続きしなかったこと、何も言わずに勝手に出て行かれてしまったこと、残された松本は一人必死に生き延びたこと、死神になろうと決意した夜のこと。色んなことをゆったり歩きながら聞いた。
「誰かにこんなこと話すの、初めてよ、あたし」
 去り際に見せた顔は、松本らしいさっぱりとした笑顔だった。
 おやすみなさい、と十番隊の隊舎前で別れ、修兵は隣の隊舎の門をくぐる。正面切って言えるほどの度胸はなく、松本乱菊と過ごす楽しくて暖かな時間を永遠に手放してしまうのが、今は怖かった。
 それでも、好きでいる分には迷惑はかからないと思う。
 それぐらい、俺の勝手にさせてくださいよ、松本さん。

 好きでいてもいいですか。







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