03さわりたい、さわれない



03さわりたい、さわれない




 九番隊と十番隊。詰め所が近いというだけで、隊長同士の仲が良いわけでもなく、それぞれの隊員同士が別段親しみを持っているわけではない。つまりは、ご近所さんのお付き合い程度。なのに、だのに。一体何故この人は、この部屋に居るのだろうか。
「修兵。お茶しよう、お茶」
「例のお八つってやつですか?あんたねえ、仕事しましょうよ、仕事。せっかく副隊長に昇進したんだから。次の評議会で落とされても知りませんよ?」
 松本は、ついひと月ほど前に副隊長へ昇進した。一体いつの間に鍛錬を積んでいたのか皆目知れないが、その戦闘能力の高さには、全会一致で副隊長への就任が決定したとのことだった。自分とて、鍛錬の手を抜いた覚えはなく、評判は上々だ。だが、まだ三席。松本の昇進には驚嘆したし、素直に尊敬をする。酒の席でも大いに祝った。だが、まだまだ遠い存在なのだな、という胸中の思いは消せなかった。
「今日分の書類はやっつけたもの」
「それ、松本さんの標準でしょう。副隊長はね、もっと仕事しないといけないんです。明日できることは今日やらない、じゃ緊急時に対応できないじゃないスか」
「ちょっとやだ。あたしの主義主張、全否定!?」
 この人はいつもそうなのだ。今日分はきっちり片付ければもう終わりとばかりに手を休めたり、休憩と称してふらりと遊びに出かけたり。仕事はきちんとこなしているが故に、叱り飛ばすこともできない。十番隊の現隊長は、ノルマさえ達成すれば後は放任主義の上官であり、松本にとっては大変やりやすい環境なのだ。
「否定するつもりはないですけどね、誰も松本さんを諭さないから、俺が言ってるだけです」
「真面目よねぇ、修兵は」
「というわけで、さっさとお帰り下さい」
「お茶菓子も持ってきたのに?修兵の好物ばっかり集めたのに……」
 しょんぼりと背中を見せるが、その手には何度も引っかかった。少しでも甘い顔を見せれば電光石火の勢いで茶の支度をし、仕事をするための部屋をさながら陽の当たる縁側へと変えてしまうのだ。雰囲気作りが上手いというか、切り替えの早さには全くいつも驚かされる。
「唐辛子せんべいに栗饅頭、芋ようかんですね」
「ハズレ。栗饅頭じゃなくて萩華堂の新作最中。ちなみに芋ようかんでもありません。お茶うけには最適なんだけどねぇ。いいわ、うちの隊員にお裾分けしてくるから」
 松本は知っているのだ。隊長、副隊長の両名は夕刻まで会議。しかも議題から察するに長引くこと決定。部下は全員稽古の真っ最中で、締め切り厳守の書類を上から任された修兵だけがこの部屋に残っていることを。こっちがあの手この手で部屋から閉め出すようになってから、松本はそういった下見をして邪魔が入らないことを確認してから声を掛けるようになった。そこまでして仕事から逃げたいのかと逆に不思議に思うのだが、ただ困らせたいのだろう。格好のいじり相手を。結局、手のひらに踊らされているのだな、と感じた修兵の負けだ。
「わかりました。ええ、わかりましたよ。もう好きに使っちゃってください、この部屋。どうせね、ほとんど書類も片付けてますしね、それ終わったら稽古に合流するつもりでしたけど上位席官からそこまで言われたら自分も無下に断れませんしね」
「あら、素直」
 紙袋を片手に引っさげ、松本は振り返る。負けは負け。それを認めるのも処世術だと、このとぼけた上官に教わった。


「副隊長ってどんな感じっスか」
 松本の持ってきた土産を美味そうに頬張りながら、修兵は気になっていた質問を投げかける。
「あんたはまた抽象的な質問してくるわねぇ。もう少し的を絞って聞きなさいよ。仕事の内容は、とか。隊長との付き合い方は、とか。休憩中だから質問は一個ね。あんまり頭使わないようなやつ。はい、どうぞ。何でも質問して結構」
「何でもって……」
 もの凄い絞られてるんですけど。そう言いたげな修兵を気に留めることなく、松本はのんびりと茶を啜った。そして、はあ〜と気持ちのよさそうに息を吐き、椅子の背もたれに首を乗せる。
「あ〜いつもながら眠くなるわねえ、この部屋は」
「……え?いやいや、何で?ここ仕事部屋っスよ?眠くなるわけない。絶対ないから」
「よその部隊だからかしらねぇ、ほら、外はこんなにいい陽気だし。あらまあ、雲雀のさえずりも聞こえちゃったりして……世間はすっかり春だわねえ」
 すっかりリラックスした様子で窓の外を眺めている松本に、そうですねえ、春ですねえ、と相槌を打つことしかできなかった。別部隊の仕事部屋で、何ゆえ自室に居るかのように振舞えるのか。副隊長がどうのというより、そっちの方が疑問だ。普通、なんとなく居心地が悪かったり、腰の据わらない感じを受けるのではないだろうか。知り合ってからの年月はまだ浅いが、その付き合いはそれなりに深くなっていると修兵は思っている。だが、まだまだわからないことだらけだ。例えば、野良犬みたいに尖がっていたあの頃の自分に目を掛けて、引っ張り上げてくれた理由とか。
「あんまり頭使わないような質問、考えつきました」
「ん〜〜?」
 気だるそうに松本が応える。目を瞑っているのが、気配でわかった。
「副隊長になったのに、そうも変わらないでいられるのって、何でなんスかね?コツでもあるんでしょうか」
「ん〜〜……」
 尻下がりのその声は、質問を受け取ったと考えていいのだろうか。まだ三分の一残っている土産物の菓子をつまみながら、修兵は松本からの答え待つ。本当に不思議なのだ。三席と副隊長とでは、何から何まで雲泥の差だと聞く。隊長への忠誠を誓い、信頼を一身に受け、補佐として隊長の目の届かないところを確実に掬い上げる。隊長が部隊の絶対的な柱として陽の当たる場所で存在し続けることが任務ならば、副隊長は部隊の抱える光と闇との間を行き来しながらバランサーとなって隊を支えるのだと、修兵は捉えていた。気構えから何から、まるで一新した上で望まねばならぬ役職ではないのだろうか。その点、松本乱菊に到っては、以前と変わることなく職務をまっとうしている。いっそすがすがしくなるほど自然体で。
 そんな考え事をしているうちに菓子も茶も底を尽き、いい加減答えが返ってきてもいい頃合になる。いやに静かな松本を見るなり、修兵の眉は八の字にひん曲がった。
「って、寝てるしよぉ……」
 そこには、すぅすぅと寝息を立てて気持ちよさそうに眠りこけている松本が居た。修兵は額に手を当て、盛大に溜息を吐く。しかし、そんな質問を投げても無駄だったかもしれないと心のどこかで感じていた。その問いかけは、松本乱菊の生き方、あるいは松本乱菊の本質に踏み込むことになるような気がしたからだ。もしそうだとしたら、きっとするりと逃げられてしまうだろう。根っこの部分に触れようとしても、ひらり、ひらりとかわされる。その繰り返し。
「あんたの本音が知りたいですよ、俺は」
 寝こけている松本にそう呟くと、席を立つ。仮眠用に使う薄手の布団を奥から引っ張り出し、松本の身体にそっと掛けると改めて椅子に座った。さて、書類仕事の続きに取り掛かるとしよう。十分休んだし、能率は上がるはずだ。筆を取ると、遠く、雲雀のさえずりが聞こえた。







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