誰だかの昇進祝いが催され、知らない間に自分の名前も入れられていて、ずるずると引きずられるように赤提灯をぶら下げた飲み屋に連れて行かれた。最早、拉致に近い。一応知っている顔はあるが、誰彼構わず気楽に声を掛ける誰かとは違い、それなりに距離を測る性格としては、片隅で一人酒を飲むしかなかった。 途中、京楽隊長が顔を見せたのには驚いたが、それ以上に驚いたのは、隊長相手に全く怯むことなく、崩れた会話を交す松本乱菊の姿だった。どれだけ顔が広いのか。呆然とする。 「檜佐木!ひーさぎー!」 ぶんぶんと手を振る松本に、どうも、と会釈する。 「何よ、どうもって。そうじゃなしに、こっちに来る!」 渋々席を立つと、檜佐木の席、ここに確保ねー、と厠に立った隣の隊員のお猪口やら銚子を無理やりどかし、檜佐木の袖を引っ張って座布団の上に腰を下ろさせる。目の前には京楽隊長。いきなりハードルが高い。修兵は何を言っていいのやらわからず、居住まいを正した。 「九番隊の第五席、檜佐木修兵。隊長、ご存知ですよね?」 「うん、知ってるよ。東仙がよく褒めてる。で、ボクは八番隊で隊長やってる京楽」 「お名前は存じ上げてます。お初にお目にかかります、檜佐木修兵です」 丁寧にお辞儀をすると、松本はからからと笑いながら、 「そんな固くなることないって、京楽隊長なんだから」 「そうそう、ボク相手に恐縮することないよ。どうせ酒が入れば酔いどれ親父になっちゃうんだから。ねえ、乱菊ちゃん」 乱菊ちゃん。そうきたか。 この二人の関係を一瞬、疑ってしまう。もしそうである場合、自分はどんな話題を振ればいいのやら。修兵はぐるぐると頭を巡らせるが、気の利いた言葉は一切出てこなかった。松本の奔放さが、少々、いや、相当に恨めしい。 「というわけで、無礼講ね。檜佐木、あんたイケる口でしょ?知ってんのよー」 「また恋次の野郎ですか」 「そ。今度一緒に飲み行こう。あいつ面白いよー。いじり甲斐あって」 修兵と恋次は、時々飲みに行く仲だ。あの事件が縁で、何かと話すようになった。だが、そこまでぐだぐだに酔わせることはないし、こちらも乱れるほど呑みはしない。一体、どんな呑ませ方をしてるのだろうか。非常に気になる。 「なになに、楽しそうな話じゃない。ボクも混ぜてよ」 「ダメですよ、若者達の貴重なコミュニケーションの場に割り込んじゃ」 松本が着る死覇装の袖が机の上を滑り、ゆらゆら揺れる。 「松本さん、お銚子倒れますから、ちょっと!聞いてます!?」 「中身残ってないからいいのよ、別に」 「いや、そういう問題じゃなくてですねぇ……」 「呑むといっつもこうなんだよ、乱菊ちゃんは。豪快に酒を飲んで、豪快に皿やらお銚子ぶちまけるの。見てて飽きなきないからいいけどね、ボクは」 何が何やら分からないうちに会話の中に混ぜ込まれ、気づけば、酒の勢いに釣られて大笑いしている自分が居た。十三番隊の副隊長に、お前今度飲みに連れてってやるよ、と言われながら頭をぐしゃぐしゃにされて、同じ十三番隊の第三席にはあんまり飲みすぎないようにこの人見張ってて下さいね、なんて頼まれて。 位が上か下かなんて、そんなものもう関係なくなって、みんなではしゃいだ。こんなに笑ったのはどれぐらいぶりだろう。そんな疑問が割り込む隙間さえなく、ただただ酒宴に酔った。 「松本さん。まーつもーとさーんってばー」 身体を揺り動かしても、うーんと唸ったきり、起きる気配は全くない。酒宴はすでにお開きとなり、酔っ払った集団は次の店行くぞー!と盛り上がりながら我も我もと店を出て行った。松本のことはお前に任せた、と言いながら、やっぱり十三番隊の副隊長に頭をぐしゃぐしゃにされ、修兵は酔っ払った松本と二人、がらんとした個室に残された。 お冷を二人分頼み、酔い覚ましにぐいっと半分ほど一気に飲む。喉が渇いていたらしく、冷えた水は存外に心地よく喉を通っていく。もう半分も飲み干し、次はこの寝ぼけた酔っ払いに飲ませる番だ。 「松本さん、水飲みましょう、水」 寝ている松本の背中に手を回し、上半身を抱き上げて、唇にコップを近づける。触れるか触れないかの距離でその姿勢を保つが、松本は動かない。こうなれば無理やり押し込んでみるかとばかりに、コップを一度机の上に置き、身体をしっかりと抱え直すと、ぐっとコップを掴む。 「何、口移しでもする気?」 「ちょっ、起きてるんなら返事ぐらいして下さいよ!」 とんでもないことを口走られ、修兵は不覚にも赤くなる。酔いが顔に出ない性質なので、一気に赤くなった己の顔を指摘されるに違いない。覚悟する修兵だが、松本はといえば両手の指を組み合わせてうーんと伸びている。あまりに自由気ままなその姿は、まるで猫のようだった。 「水、ありがと」 呆気に取られている修兵の手からコップを奪うと、厚ぼったい唇をその端に付けた。こくん、と喉が上下する。上に傾けられた顎のラインに色気を感じた。普段あまり見ることのない首筋に目を奪われる。酒を帯びて赤く染まっている耳梁。金色の細い髪。薄ぼんやりとした店の灯りに照らされ、長い睫が影を落とす。思わず、見惚れる。 「さあて、帰るわよ」 修兵の視線に気づいているのか、いないのか。松本はドン、と空のコップを机に叩きつけ、勢いよく立とうとする。だが、しこたまに飲んだ酒の酔いがコップ一杯の水で薄まるわけもなく、ふらりと 足元が頼りなく揺れる。壁にどん、と右肩を打ち、そのまま動けなくなった。 「あら大変。歩けない」 「……俺が送りますから。どうせ隣の隊舎ですし、ついでです」 壁に凭れる松本に背を向け、よいしょ、という声と共に身体を背負う。了承を得なかったが、文句が出ないところをみると、このまま歩けばよいのだろう。胸、当たるなあ、と酔った頭の片隅で思いながらも、店の出口に向かう。 「ども、ご迷惑おかけしました」 「いつものことだから。またどうぞー」 ぺこんと頭を下げると、店員は愛想良く笑いながらお辞儀を返した。引き戸を開けると、酔い覚ましにはちょうど良い涼しい風が足元を過ぎていく。 ざり、ざり、と砂利を引きずり、隊舎への道を歩いた。 「悪いわねえ、こんなことまでさせちゃって」 「というか、ビビりましたよ。名乗り出てもいないのに、知らないうちに俺が参加することになってるし。辞退しようにもできねぇし。仕組んだの、松本さんでしょ」 「あらら、ばれちゃった?」 「ばれるも何も、そういうことするのは俺の周りであんたぐらいしかいないっての」 まずい。知らぬ間に言葉が崩れている。 しかし、松本は酔っているからなのか、妙に嬉しそうに食いついてきた。 「今、あんたって言ったー。上位席官に向かってあんただってー。えっらそー!」 「あ、いや、今のは口が滑っただけでして!」 背中の上でばたばたと暴れる松本をなんとか押さえながら、修兵はあわてて繕う。 「もうこいつなんか修兵でいいや。おーい、修兵ぇー。早く歩けー」 「いきなり呼び捨てっスか」 「だって、あんたより偉いもん。あたし」 「まあいいです。好きに呼んで下さいよ。宴会、楽しかったですし」 「へえ、楽しかったんだ」 「なんか、色んな人が居ました。俺よりどう見ても上位の席官なのに、偉そうなこと言う気配、全然見せないし。かと思えば上官に向かってとんでもねえ暴言吐いたりして。ああ、こういうのもアリなんだなって思うと、俺もその辺どうでもよくなって、気がつきゃ笑ってましたよ。知らない隊員と酒酌み交わして、喉が嗄れるほどバカ話して、ハゲるかと思うぐらい頭ぐっしゃぐしゃにされて……すんげえ、楽しかったです」 酒宴を辞退して一人で居るよりも、ずっとずっと良かった。上官との関係、部下とのコミュニケーション方法。もう少し、自分の立ち位置を考え直さないといけない。そう思い直した夜だった。 俺に声掛けてくれて、有難うございました。 口に出すべき言葉は、松本の予想もつかない言葉にかき消された。 「そう。あたし、あんたのそういうとこ、結構好きよ」 「なんスか、いきなり……」 歩む足が、自然に止まる。動けなくなる。縛られたように。 「足、ちゃんと動かす!」 松本は動かない修兵の頭をパシン、と叩いた。そこで止まっていた時計の針が動き、修兵はのたりのたりと道を歩く。 「いってぇ……。ねえ松本さん、今の好きって言葉、俺全然わかんないんスけど。そういうとこって、どんなとこっスか」 「あれ、あたしそんなこと言ったっけ?」 だらりと背中に身体を預けて、首を捻る松本。 「ちょっと松本さん……あんまり気軽に言わない方がいいですよ、そういうこと。本気にされたら困るの松本さんでしょう。ただでさえ、」 あんたいい女なんだから。 危うく口が滑るところを、ようやくのことで抑えた。飲みすぎだ。完璧に。 「何、途中で止めるのやめなさいよ。気になるじゃない」 「ただでさえ、酔っ払ったらどうなるかわからないんですから」 我ながら大したフォローの仕方だと、修兵は自信を持ってそう答えた。だが、返ってきたのは明らかに不満そうな声。 「ちょっとそれどういう意味!?」 「好きだの何だの気軽に言って、襲われても知りませんよってことです」 「酒がいくら入ろうが、松本乱菊第三席!そこらの死神に負けるわけないでしょ!」 「あーもう、なんだこの人!十分隙だらけだっての!」 「こぉのエロガキが!酔っ払ったあたしを襲う気か!」 ガン、と頭に一発、容赦ないゲンコツが入る。その場に蹲まりたいほどの痛さだったが、背に乗せている酔っ払いに気を使って、修兵はなんとかこらえた。殴り癖でもあるのか、先ほどから叩かれてばかりな気がする。 「俺じゃねえって!他の誰かに襲われますよって話です!」 そうは言えども、松本はまだまだ解放してくれない。ばたばたと落ち着きなく、無責任な言動を繰り返し、なのに人を笑わせる。今日も振り回されてばかりなのに、これが全く苦痛ではない。松本の身体を背負い直しながら、なんだか参るよなあ、と修兵は心中で思った。 それでも、たったひとつ願うとすれば。好きだなんて言葉、そんな簡単に口にしないで欲しい。 この人は、心臓に悪すぎる。 |